2010年11月2日火曜日

立ち止まる勇気

4年間続けてきたクッキングサークル&手作り点心の会。
今年6月をもって活動を縮小しました。

現在はほとんどの活動をやめていますが、味噌作りや
梅干し作りなどは、これからもやりたいと思っていますし、
せっかく出来上がったみそを持ち寄っての恒例の味噌会は
やりたいな、と思っています。


私の中で昨年ぐらいから感じていた違和感が、だんだんと
大きくなり、それは「疲れ」という形でのしかかってきました。

自分の潜在意識が感じている、本来自分がやりたいこと、と、
現在の自分の違い。それが積もり積もって一旦立ち止まること
を選択しました。


夫の転勤があるかもしれない、というのは私にとってとても良い
きっかけでした。結局転勤はなくなりましたが、私が立ち止まるための
大きなきっかけをくれました。


食べ物が溢れ、物産展、B級グルメ・・・と毎日大量の食べ物が溢れる
日本。グルメブーム、究極の味を求め、ものすごい金額が動きます。
一方、食品がこんなに安いのってありえるんだろうか・・・という
値段がついて売られていたり。


そういうのを目にするたびに、ものすごい違和感を覚え、
なぜ人はこんなに食べることに眼を血走らせるのか、と
恐怖心さえ感じるようになりました。(

もちろん、生命の維持のために「食べる」という行動
が欠かせないことは理解ができます。でも、そうとは
思えないこの”食”ブーム。


毎日の生活の中で得ることが出来ない心のまんぷくを
満たすために、身体の中に食べ物を詰め込んで、毎日の
生活の中で感じることが出来ない心地よい刺激を求めて、
激辛や味の濃い、こってりした食べ物を求める。

毎日の生活のなかで得ることのできない安心感を求め、
甘くて、やさしくて、ふんわりした食べ物を口にする。


私自身も食べることが大好きだったから、「ああ、こうして
食べることで何か満たされない気持ちを充足させたいと
思っていたんだな」って思う。


ひとりひとり、人は違った良さをもって生まれ、生きているのに、
こんなにも大量生産、経済を優先して作られた食べ物を食べていて
良いのだろうか。

自分を大事にするならば、自分を作っている食べ物は、もっとも大事に
育てられ、作られた食事であるべきではないか。


”来月のクラスの試作”、”新しい料理を考えること”などから
離れた現在の我が家の食卓は、自称”贅沢な素食”が並びます。

手作りの味噌、手作りの梅干し、自然農法の玄米、
炒ってゆっくり摺ったごま、夏に比べてちょっと元気がなくなってきた
ぬか床に漬けたぬか漬けなどを中心に、あとはきんぴらとか、
が1-2品。


大変快適。大変満足。


お昼は時々外で食べたり、もちろん友人と出かけたりもするので
いつもいつもこうではないですが、玄米をゆっくりゆっくり甘くなるまで
噛んで食べた時の美味しさは、本当に幸せです。


クッキングサークルに来てくださっていた方には、最後のクラスの時に、
それとなく私の食の志向が変わってきていることをお話しました。
なので、自分なりにみなさんに提示できるものがまとまるまでお待ちください、
というようなことを言ったように思います。


今の私が求めているもの、の形が少しづつ分かって来たように
感じています。これは立ち止まって見て初めて出てきた私の中の
欲求です。


忙しい日々、仕事を毎日続けるなかで立ち止まることは本当に
難しいことかと思います。私のように「休ませてください」と
いうことが出来るのは本当に幸せなことです。


でも、なにか違和感を感じた時には
やはり一旦立ち止まってゆっくりとゆっくりと自分の中の
欲求に向き合っていくことが必要なんだと思います。


そういう時間や、そういう空間を持つお手伝いを
したいな、って思います。

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kominka

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