2010年4月28日水曜日

朽ちゆく「からだ」

ヴィパッサナー瞑想の10日間コースでは、はじめに呼吸の観察、
そして、ヴィパッサナーの訓練をします。

しかし、仏陀が瞑想法について語られた「サティパッサーナスッタ」の
中には、からだの不浄の観察、という項目と、墓地における9つの観察、
という項目があります。

身体をありのままに観察し、それが汚物などで満ちているその有様を
正しく知る。人は死んでその身体は朽ち、腐り、やがて白骨となる。
それが我が身にも起こることだと正しく知り、これが「からだ」なのだと
知る。

10日間コースの中ではこんな観察はありませんが、仏陀は
情欲にまみれている人、体の外側における美にしか価値を見い
だせない人たちは「呼吸の観察」から修行を始めるのは
ふさわしくないということで、墓地に行って死体を観察するところから
修行をするようにおっしゃったそうです。


この話を聞いて、鮮やかによみがえった記憶がありました。
私の母が亡くなった瞬間のことです。

母が息を引き取った時、心臓が止まったのであろうその次の瞬間から
さーっと血の気が引いて行きました。今まで活動していた1つ1つの細胞が
今まさに活動を停止した、というように、まるでドミノ倒しのコマが
体全体にサーっと倒れていくように、体が死んでいきました。

母は死んだ。
私はつぶさにその様子をみました。

母は私に、夫に、姉に、兄に、孫にその様子を見せてくれました。


私に「所詮人はみんな死ぬのである」、という事実を母が
教えてくれました。そして思い起こせば子供の頃から今に
至るまで、祖母が、祖父が、父が、そのことを教えてくれました。

自分の死を体験することは普通生きているうちには出来ないけれど、
人の死に立ち会うことで、それを通して学ぶことの大切さを実感
しました。


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インドでは死体がそのままガンジス川に流されると聞きます。
はじめ、その話を聞いた時、とても恐ろしく感じましたが、
「人の体は朽ちるものなのだ」ということを事実として受け入れる
ために、貴重な機会となるのかもしれない、と最近思います。

さすがインド、の思いを新たにします。

死を通して、生きることを知る、というのは
こういうことなのかもしれません。

2010年4月27日火曜日

ありのままを受け入れる・・・って。

よく「ありのままの自分を受け入れる」とか「人をありの
ままにうけとめる」とかっている表現を時々聞きます。


先日夫とこの表現の言わんとするところについて
しばらくの時間、話をしました。


「ありのままに受け入れる」ってどういうことだろうか。


サティパッターナスッタのコースでこのような言葉を知りました。


・・・・・・・・・・・

快い感覚を感じながら、「快い感覚を感じている」と
正しく知り、不快な感覚を感じながら、
「不快な感覚を感じている」と正しく知り、快くもなく
不快でもない感覚を感じながら、「快くもなく不快でもない感覚を
感じている」と正しく知る。

快い感覚を執着をもって感じている時は、
「私は快い感覚を執着を持って感じている」と正しく知り、
快い感覚を執着を持たずに感じている時は、
「私は快い感覚を執着を持たずに感じている」と正しく知る。

不快な感覚を執着を持って感じている時は、
「私は不快な感覚を執着を持って感じている」と正しく知り、
不快な感覚を執着を持たずに感じている時は、
「私は不快な感覚を執着を持たずに感じている」と正しく知る。

快くもなく不快でもない感覚を執着を持って感じている時は
「私は快くもなく不快でもない感覚を執着を持って感じている」
と正しく知り、
快くもなく不快でもない感覚を執着を持たずに感じている時は、
「私は快くもなく不快でもない感覚を執着を持たずに感じている」
と正しく知る。

(中略)

このように比丘は、ただ気づきと理解がある境地に至るまで、
その気づく力を育てる。そして、この(精神と物質の)世界の
何ものにもとらわれず、執着しない

・・・・・・・・・・・・


人がある事象に出会ったとき、身心が辿る道筋は

認識

判断(良いor悪い、快いor不快などの善悪の判断)

感覚(実際の身体の感覚として生じる)

反応、反発

だそうで、初めて聞いた時には「???」でしたが、なるほど、
この「認識(気づき)」の他になにもない状態に至るように
「認識」の部分を鍛錬するのがこの修行なのだとわかってきま
した。


物事に対しても、他人に関しても「善悪」の判断せず、ただ
「認識」をする。

これが「ありのままを受け入れる」っていうことなんだ!と、
私なりに「頭では」納得。


しかし、これはとても大変な修行です。
今までの心の癖でどうしても判断→反応を繰り返す。
でも、それが「ありのままの自分」。

自分が「反応している」ことに気がつくこと、が大事。
反応している自分を否定しない、判断しない。

この時大事なのが「感覚」と共にあること。
これがこの修行の大事なところ。


千里の道も一歩から。
しかし、わたしの一歩はあまりにも小さい~!(>_<)


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コースの中で、とても印象的なお話がありました。

自分が執着を持っているかどうか、はどうしたら分かるか?

例えば1時間まじめに瞑想しよう、と心に誓い、瞑想をする。
1時間の瞑想中、心は彷徨い、集中しようと努めても出来なかった。
1時間後私はどう思うか?

「あ~ぁ、集中出来なかった~、うまく出来なかった~(ため息)」
あるいは
「自分は自分が出来るベストの努力をした。
でも集中は出来なかった。よし、また次頑張ろう!」

前者は執着を持って瞑想をしている、後者は執着はない。

この話は私の心にストン、と落ちました。
日常生活の中でもこのような経験が日々、あるからです。


ビギナーズラック、って言いますが、ビギナーは結果に
執着がないんですよね。だから良い結果がおのずからついてくる。

こういう世の中の「法則」って本当に不変の真理なんだなあ、
って思います。

2010年4月26日月曜日

努力しない「努力」

3月から4月にかけての参加した瞑想コースでは、
「サティパッターナスッタ」という、ブッダが
ヴィパサナー瞑想法について詳しく説いた経典を
学ぶ時間がありました。

その中で、いくつか印象的なことがありました。
一つは、「努力しない」という「努力」という言葉
でした。

仏陀は、悟りの七つの要素について語られています。
その中の一つ「努力」の部分でこう言われています。


自分のうちに悟りの要素である努力がある時、
「内に悟りの要素である努力がある」と正しく知り、
自分の内に悟りの要素である努力がない時、「内に
悟りの要素である努力がない」と正しく知る。

(努力についての言葉はまだ続きますが、
引用はここまでにします)


私はどちらかということ「努力」する性質が強い方だと
思います。常に「よりよい状態」「効率的であること」
「うまくいくこと」を求める性質が強い。

しかし


今回のコースでこのことについての解説を聞いて、
目からうろことはこのこと、という感じをうけました。

「ここでいう努力とは、『何かをしよう』という習性や、
反応・反発する習慣を打ち破るための努力」であるというのです。


つまり「何もしない努力、反発をしない、という努力、
起こることをただ、正しく観察する、という努力」
「起こるがままに反発せず受け入れる努力」なのだと。


これは怠惰とは違う。バランスのとれた緊張感を持って、
バランスのとれた努力を持って、「観察をする」。


私は自分自身、これがとても苦手だと感じています。
瞑想に出会って5年、私がまじめに努力しすぎてバランスを
崩しがちである傾向は少しづつ気がついてきました。

瞑想の中からも、日常の生活の中からも、そう気づく機会が
何度もあります。

なので、こうして言葉で説かれると、深く深く納得するしか
ありません。


なにかの「結果」を求める傾向が強くなる時、
「ありのままの現状」を観察する傾向が弱くなります。

心が「今」を生きていない時、ふらふらと宛のない未来を
妄想するのは、それはそれは不安定なことでしょう。

だから「今」を観察する力を強めるための修行をする。
心がさまよい出ないように、「今」を生きる力を養う
ための修練をする。

これが瞑想を通じてやっている自分の心のトレーニングなんだなあ、
と思います。


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瞑想のコースに行くと毎回、考えることがあります。

私はバッチフラワーレメディのプラクティショナーですが、
「この瞑想をきちんと修行し、続ける限り、レメディを
使う必要性は感じない」ということです。

ですから、自分がそう思っているものを人に提供することが
はたして良いのかどうか、ということを考えるのです。

そして、いつも同じ場所に戻ってきます。

私自身が、今を観察する力、それを支える平常心、
真実を見る能力、そして心の平安を分かち合いたいという愛を
自身の中にはぐくんでいなければ、どうやって、良い時間を
提供できようか。


自分自身がそうであったように、誰もがこの瞑想法に
すぐにたどりつけるわけではない。だから、それならば
少し違う方法で自分自身の心を観察する時間を持ってもらう
機会を提供できたらどんなに素晴らしいだろう、と。

私がバッチフラワーレメディが好きな理由は
今、現在の自分と向き合う、という事が大事だからです。
「どんな自分になりたいか」とか「何を変えたいか」ではなくて、
今の自分はどうなのか、ということを観察する。

自分自身を観察することすら難しいのですから、
クライアントさんの手助けをするには、何より自分が
その努力をしていなくてはいけない。

そんなわけで、私は、バッチフラワーにも、
瞑想にも出会えてよかった、と思うのです。

2010年4月23日金曜日

感謝とともに、お知らせ

2006年春から丸4年。
Healthy,Tasty&Wiseの活動を皆様の支えのお陰で
続けてまりました。

クッキングサークル、手作り点心の会♪
中国茶教室、バッチフラワーレメディなど。
多くの皆様に出会い、共に素敵な時間を
過ごすことが出来、多くのことを学びました。

今年、6月末をもちまして、こちらの活動を
縮小あるいは一時休止させていただきたく
みなさまのご理解のほどお願い申しあげます。


なお、バッチフラワーレメディのセッションに
つきましては変わらずお受けいたします。
また、バッチフラワーレメディなどのセミナーも
近々企画し、ご案内するつもりです。

HPにあります、バッチフラワーレメディについて
のページご参照ください。


今までご縁をいただき、ご一緒させていただきました
みなさま、本当にありがとうございました。

私自身、そしてHeathy,Tasty&Wiseも変化しながら
また新しい形で皆様とご一緒出来ますのを楽しみにしています。

2010年4月16日金曜日

特別企画 甘夏ジャム&シフォンケーキ作りの会

甘夏が美味しい季節となりました。
昨年に引き続き、甘夏ジャム作りをしたいと思います♪


(古式原糖を使ったちょっと黒い甘夏ジャム)

今年は、甘夏ジャムだけでなく、それを使った
シフォンケーキ作りを共にお楽しみいただける
時間をご用意しました。

教えてくださるのは昨年同様、クッキングサークルのメンバー、
けいこさんです。

旬の美味しさを、より楽しめる美味しいシフォンと共に
素敵な時間を過ごせたらと思います。

今年は、昨年紹介した基本の甘夏シフォンに加えて、
ココアを加えた新しい甘夏シフォンもご紹介の予定です。


(こちらが昨年大好評だった甘夏シフォン♪)

1クラス限定4名となります。
ご希望の方はお早めにご連絡ください。



日時:①4月25日(日)午前10時半~
   ②4月27日(火)午前10時半~
   ③4月27日(火)午後6時半~ 定員となりました


内容:*甘夏ジャム作り
   (1人200g前後お持ち帰りです-瓶などご持参ください)
   *シフォンケーキ作り
   (甘夏シフォン&ココア甘夏シフォンのお持ち帰りです)

費用:5,000円


美味しいジャム&シフォン作りを楽しみましょう~♪

2010年4月15日木曜日

HP見られようになりました♪

ご不便をおかけしておりましたが、
HP閲覧できるようになりました。

今後とも、よろしくお願いいたします。

Heathy,Tasty&Wise

2010年4月14日水曜日

HPにつきまして

現在Healthy,Tasty&Wise のHPが閲覧できない状態になっています。
皆様にはご迷惑をおかけしており、申し訳ございません。

ただいま問い合わせ中ですので、今しばらくお待ちくださいませ。
どうぞよろしくお願いいたします。

kominka

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