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2013年5月16日木曜日

恐怖

ちょっと前に、瞑想友達と話してて、とても興味深い話になった。

それは私自身の中にある「恐怖」という感情について話していた
時のこと。

人に嫌われたらどうしよう、とか、拒まれたらどうしよう、という恐怖。
あるいは”他人に受け入れられない事”への恐怖。

そういう類の恐怖が自分の中にすごくあるってことに気がついて、
やっとそれをあるがままに感じてみようという平静さを持てるように
なってきたんだよ~っていう話をしてた時に彼が言ってたこと。

「この『恐怖』という感情を持つとき、人は行動を止める。
行動することや、前に進むことを止める時、そこには必ず
「恐怖」という感情があるっていう風に言うこともできる、って
聞いたことがあるんだ。」


なるほど~、って思った。

何かに挑戦しようかと思っても、恐怖が頭をもたげると、
行動することを止める選択をする。

例えば、高い崖から下を見て、恐怖を感じれば、
その先に進むことを止めるし、恐怖を感じるからこそ、
そのまま進むことを止める。(恐怖という感情がなければ
そのまま歩いて、落ちて死んじゃうからね。)

この場合、死、への恐怖があるから自分を守ることができる。
自分を安全な場所に置いておくことが出来るのは「恐怖」の
お蔭。

こういう場合、安全な場所、安心な場所を選ぶことはとても
大事なこと。だって死んじゃうんだもん。

だけど、精神的な安全な場所、とか、安心な場所っていうのは
どうなんだろう。

これも、疲れた時や、今は無理って思う場合、「進まない」という
選択をすることがとても大事な時がある。無理することで自分が
耐え切れなくなることが分かってる時に、あえて挑戦を選ぶ必要は
ないと思う。自分がそれと向き合えるようになる、ということに
力を尽くす方が大事だと思う。あと、十分休んだりね。

けど、最近私個人的に思うのが「私、十分逃げてきたんじゃない?」
ってこと。「ずっとこのまま安心・安全から足を踏み出さないというのは
どうなんだ?それは私がやりたいことなんだろうか」って。

今まで私の新しい挑戦を足止めしていたときには、必ず「恐怖」
が共にあったんだな、ってことに気がついた。

なるほどね「今はまだ時じゃない」とか「まだ早い」とか
「私に出来るかな・・・」なんて思ってたのは、なーんだ、
自分が「怖い」っていう思いを隠すためだったんだ、って。

もういい加減、この恐怖をさんざん味わって、楽しんで、
手放す試みをする時なのかも、って感じてる。

自分が持つ「恐怖」という感情を受け入れてこそ、そこから一歩を
踏み出すことが出来るのかなって。

面白いね、こういうの。
ちょっとマニアックな面白さな気もするけど(苦笑)
(こういう「鍛錬系」なのが好きなところも、「なんだかな~」って
思ったりします、最近・・・。)




本日のクッキングサークルで作ったごはん
(山東菜の浅漬け、キャベツの胡麻酢醤油和え、なめたけおろし、きんぴら
小松菜とあぶらげの生姜醤油和え、玄米もちきびご飯&わかめの味噌汁)




2013年5月15日水曜日

もっと頑張らなくては!って思う時には・・・

今、これからやりたいと思っている仕事のプランを練っています。

これ!やろう!!
って思うんだけれど、考えが進んでいくと、最初のテンションが保てなくなる。

もちろん、思いつきだけで考えているときよりも、より考えが進むと
簡単にはいかないことも出てくるから、そういう意味で難しいことも
出てくるけど、なんか、どうも、根気がないというか持続力がないというか。

私にとって「根気がない」とか「持続力がない」というのは、瞑想の修行でも
同じようなことを感じることがあって、最近「もしかしてこれは、体力が
ないから??」って感じるようになった。

というのも、以前の私は「気力」「根性」「負けないぞ」精神(笑)で、
”頑張って”こなしてきたんだけど、最近はその不自然な自分を
感じられるようになったので、あまり根性出さないので。

となると、基礎体力、というか、自然にこなせる体力っていうのが
自覚できるわけで。

地道に歩く、とか、毎日ちょっとしたエクササイズをするとか、そういう
ことをやっていこうと思ってます。やはり「身体」と「心」は両方大事だね。


それと同時に思うのが、私って「今の自分を常に受け入れてない」ってこと。

「もっと体力がないと」とか「もっと健康じゃないと」とかって思ってる
自分がいるんだよね。

大分この辺の観念=「体力がある方が良い」とか「健康なほうが良い」とか、
そういう「良い」「悪い」って判断することは抜けてきたけど、やはり
今の自分よりも”鍛錬しなくては”とか、”修練しなくては”みたいな
発想をしている自分に気が付く。

そういう時には、フラワーレメディ飲んでみる。
この心持ちには「ホーンビーム」

「常に、もっと自分を磨かないといけない」みたいな観念にとらわれてる時に。
そして頭が休まらない時に。

頭が休まって、身体も休まるよ。


Hornbeamのスケッチ
(BachCentreのページから)



2013年1月24日木曜日

美味しいご飯があれば

今、日本橋三越で、柴田慶信商店の催事をやってます。
慶信さんご本人が、売り場でお話してくれます。





「うちの主人は、このお弁当箱にしてから『玄米と梅干しと
たくあんのお弁当が本当においしい。ほかに何もいらない。』
って言って、毎日日の丸弁当を喜んで持っていくんです。」
という話をしたら、慶信さん、にっこり微笑んでくれました。



曲げわっぱのお櫃を買うまでに何年かかっただろう。
さわらの江戸櫃を8年位使ってましたが、ようやく自分にこの
お櫃を使う許可をおろしたのが、2年ほど前だったでしょうか。

買うことに決めて日本橋三越の売り場に行き、希望のサイズの
お櫃を手に取って「これください」って言った時、店員さんはびっくり
した表情で「予約なさってる方ですか?」って言いました。

聞くところによると、このお櫃は滅多に店頭に並ばないそうで、
お店に入荷しても予約されているお客さんに届けられるものが
ほとんどだそう。「店頭に買いに来て、その場で買える人なんて
いないんですよ。よほどご縁があるんでしょうね。」と言われました。

そして、その後、今度はお弁当箱を買いに行き、1つ購入。
もう一つ同じものを買おうと数か月後にお店に行った時も、
こういわれました。

「ここ数か月このお弁当箱は全然入荷がなくて、今朝入荷
したばかりなんですよ。よほどご縁があるんでしょうね。」

そんなこんなで、我が家のまげわっぱコレクションは順調に
増えまして(笑)、今はこんな感じ。














毎日使い続けるよりは、1日働いたら1日休み、のサイクルが
理想的なので、お弁当箱2つ、午後のおやつ用のおにぎり箱
2つ。

ホントはお櫃ももう一つあるのが理想的なので、いつか2つ
お櫃を持つという贅沢な試みをしたいです(笑)。


これに入れたごはんは、それはそれは美味しいんですよ。
ご飯を炊いて、炊き終わったらお櫃にうつす。
ここまでやって、初めてご飯の準備が出来ました、ってことだと
つくづく思います。

余計な熱と水分をとって、最適な美味しさを作り出してくれる。
ご飯を美味しく仕上げる、大切な”調理道具”です。

朝、炊けたご飯をこのお弁当箱に入れておく。昼に食べる
そのご飯は、本当におかずなんていらない美味しさ。

このお弁当箱を買ってから、おかずのないお弁当を、
自信を持って会社に持って行ってもらえる気持ちになりました。
本人が「おかずなくても全然かまわないよ」って笑顔で言って
くれるので。

いろいろな人の、いろいろな物のお蔭で、こうして心地よい
暮らしができていることを、ありがたく、本当にありがたく
思います。

感謝。














2013年1月23日水曜日

正しい、ってこと

昨日のブログで

何か方針、とか、理念とか、そういう判断基準になるものが
存在して初めてそれに基づいて判断する、ということをするのだから、
何かの事実自体には色はついてないっていうか。色を付けるのは自分
だけ、っていうか。」って書きました。

その判断基準が

”常識”

だったり、

”普通”

だったりするってことがあると思うんだけど、それってそもそも
なんだ?って思う。


私はもともと「常識」とか「ふつう」とか、そういうことをとても気にする
人でした。

そんな私の目からウロコをいっぱい落としてくれたのが私の旦那さん。
こういう風に書くと誤解をされそうだけど、彼には「常識」とか「ふつう」
という枠がとても少ない(笑)。

常識的なことに重きを置く私と、常識に囚われない彼の、それぞれの
良さが調和してハーモニーを生み出すようになったのは、それがお互いの
良さだと自分自身で受け入れられるようになってからでした。



昨日、いつも私が自然農法のお野菜の宅配をお願いしている
ナチュラルハーモニーからとても面白いメルマガが来ました。

その中の一部の文章をコピペさせていただきます。

「感じることの前に、概念を埋め込む。
ザッとではありますが、概念教育の成果を書き並べてみましょう。

・ 美味しいと感じる前に栄養素が高い・低い、良い・悪いといったもので判断すること。
・ 子供の歯が生えてきたのを離乳の時期と思わずに、“何ヶ月から離乳”と決めつけること。
・ 作品を一度も実際に読むことなく、作者と年代ばかりをただひたすら暗記すること。
・ 病気の症状も体からの自然な反応、そう考える前に無条件に“悪いもの”だと
決めつけること。
・ フレンチ・中華・和食とタテ割りにされた枠組みの中に終始し、素材がどう
料理されたいか?などとは考えないこと。

私たちはたくさんの思い込みや概念で埋めつくされていると言えそうです。
その肥大化により、本来備わった五感、感覚器官と脳とをダイレクトにつなぐ
ことが疎かになっている。それでは決まり切った尺度でモノゴトを判断する結
果を生みやすいのです。」(引用終わり)


私たちは頭でっかちな夫婦でした。(今もそうかな-笑)
2人とも末っ子だったから言ってみれば”調子が良い”って感じ。
最小限の労力で、最大の効果を得る、みたいな。
「小手先」ともいう(笑)。

だからこそ、本や人の言ったことをに基づく「知識」じゃなくて
、自分の感覚器官を通じて培った「知恵」の大切さを今、改めて
感じています。

自分の身体に染みついた「借り物の概念」をどんどん削ぎ落として、
概念にとらわれない、臨機応変な柔らかい人になりたいな。

あっ、また「柔らかな人」っていうのが「良い」っていう判断を
してるね・・・


全てはバランス。

1人ではバランスが取れず傾いているように見えても、
全体では不思議なほど調和がとれてたりする。

ひとりで生きてるんじゃないね、ってつくづく思う。


2013年1月22日火曜日

優柔不断

私のことを知っている方なら、「私」のイメージと全く相反する
言葉と思うんではなかろうか、とすら思う「優柔不断」というワード。

即断、即決、即行動、が私のイメージじゃないかな?傍から見たら。
考える、熟慮する、ということはあっても、「決められない」ということは
今まであまりなかったように思います。

その私が最近、
「あれ?私、考えがあっちに行ったり、こっちに来たりしてない?」
「決めたはずのことをまた考え直して違う行動とってる??」
「あれやろう、これやろう、とちょこまか動いて結局何をやってんだ??」
ということが、立て続けに起こってます。

「効率悪いな~、最近。なんか全然地に足ついてない感じ~」って思った
次の瞬間「あーー、私、迷ってるんだ、決めることが出来ないんだ!」って
気が付いた。

「決めることが出来ない」。今まで自覚して感じたことのない感情です。
(もちろん、自覚しないで迷路にはまってたことはたくさんあると思うけど)

また新たな経験の扉が開いた感じ。
生きてるのって、楽しいね~(^-^)って思います。

私にとっての「決められない」っていうのは、言葉を
変えると「どっちが自分にとって正しいのかが分からない」という
こと。

どちらが善なのか、悪なのか。
どちらが正解なのか、間違いなのか。
それが判断できないから迷ってるんだと思うんだけど、
うーん、そもそも最近、「どっちが正しい、とかないんじゃん??」
って思うことが多い。

というか、正否とか善悪とか、そういう両極からなる考え方
自体どうなんだ?って思うことが多い。生きていくってことは
全ての瞬間で相反する考え方の一方を選択し、他方を選択しない
という行動を繰り返しているわけなんだけれど、「どちらで無くては
ならない」ということはないんじゃないか、と思うのです。

何か方針、とか、理念とか、そういう判断基準になるものが
存在して初めてそれに基づいて判断する、ということをするのだから、
何かの事実自体には色はついてないっていうか。色を付けるのは自分
だけ、っていうか。

例えば甘いお菓子をいっぱい食べることが善か悪か、なんて人それぞれ。
健康を害してる人とか、どうしても減量したい人とか、そういうことを改善
したいっていう人には「悪」かもしれないけど、それを食べられることが
豊かさの証だったり、今日はお祝い!だったり、愛情表現だったり、
っていう場合、それを「悪」っていうのはどうなの、だよね。

だからと言って、自分の健康を脅かすことに無知なままよりも、自分を
健やかに保つ方法は知っている方が良いようには思うけど、それを
知らないことが悪いかっていうと、知らないからこそ出来る経験っていう
のがある。身体に負担をかけるものをたくさん食べ続けたりして病気に
なったとしても、その経験を通して初めて気づくことが出来ることがあるん
だから、それもありじゃん、ってことだし。

そう考えていくと、何が良いとか悪いとか言ってること自体は意味がなくて、
それよりも、自分自身が何を「良い」と思い、何を「悪い」と思って生きてるのか?
に気が付いていくことだけ、のような気がする

去年の10日間瞑想コースに坐ってる時に、私の中にある「こうなるべき」
とか「こうなるはず」という思考パターンの存在に気が付いて、「おー、
私はずっとこういう色眼鏡をつけて生きてきたんだな」ってことに気付いた。

「体が健康なことが善」
「心が穏やかなことが善」
「この世的に見た幸せな生活、っていうのが善」
とかね。自然とその思考パターンに支配されてる。

今までも、健康なことだけが善ではないよな、とかって頭で理解は
してたけど、自分がどっぷり「善悪」を判断するその思考パターンに
はまってるという現実に気づいた時は、結構「お~っつ!!」って感じ
だった。

今優柔不断になってるのは、そういう思考パターンに気づいたから
のような気がしてる。今までは迷わず自分の「善悪判断システム」が
即起動してたところで、そのシステムが働かなくなってきたんだと
思う。

ということで、今私は結構優柔不断。
そんな私をエンジョイ中。
(とはいえ、周りの方たちにはそれでも即決に見える、と言われて
ますけど・・・笑)。



2013年1月17日木曜日

「生き方」

先日のブログで日経ビジネスに掲載されたの稲盛和夫さんの
言葉を引用させていただきました。

稲盛さんは言わずと知れた方ですが、2004年に刊行された
「生き方」という本は、日本のみならず、中国でも大変人気が
あるそうです。




「人としての正しい生き方」を語った本。

日経ビジネスのインタビューには、賄賂や横領が蔓延る中国で
なぜこの本がウケルのか。それは、中国人―その中でも権力に
よって多くの金を得ている人たち自身―が、その生き方に疑問
を感じながら生きてるからではないか、と書かれていました。


::::::::::::::::::::::::::


中国上海に暮らした2年間は、二言三言では言い表せない多くの
経験をさせてもらった時間でした。でも、あえてまとめるとすれば
多くの葛藤に悩み苦しんだ時間であり、しかしそのことを心の底
からから感謝しています。

点心を学んだり、布市場やセーター屋さんで服のオーダーをしたり、
中国茶の深さを知ったり、と楽しいこともありました。ですから、当時を
知る友人には「何がそんなに辛かったの?」と聞かれることも少なく
ありません。

「何がそんなに辛かったのか?」

何年もたって、それがようやく分かってきました。
それは「人として正しく生きるってなんだんだ!!」という、問題提起を
あらゆる場面で突きつけられていた時間だったからだと思います。

嘘をつく。
人をだます。
自分を守るためや、お金を少しでも多く得るために。

大声で人を罵る。
人前でも構わず人に手をあげる。物を投げつける。
感情を露わに、自分の主張をするために。

偽物を平気で売る。
ばれないように細心の注意を払い、
取り締まりがあれば、我先にと隠れる、逃げる。

日々経験することの一つ一つがまるでボディーブローのように
私の心にパンチを食らわせて、やがて「自分が人として
壊れていっている気がする」と感じるようになりました。

平気で大声を上げ、怒り、目の前の人に笑顔を向けられなく
なった自分。こんな人間ではありたくない。この思いは
私だけでなく、夫も同じように抱いていました。
そして、出会ったのが「ヴィパッサナー瞑想」でした。

とはいっても、友人に軽く話を聞いて、何の気なしに申込んだ
のがはじまり。まさか私が求めていた「正しい生き方」の
道がこんなにパーフェクトに示された修行だとは、これっぽっちも
思っていませんでした。

悟りへの道―八正道―に、何の気なしに出会えてしまった
私たちの運の良さには、自分たちでもびっくりですが、その
道の先にあるゴールには”何の気なしに”たどり着けはしない、
ということを日々噛みしめています。


中国で過ごした時間のお蔭で、私は自分が人としてどう生きたい
のか?という問いかけをもらえたし、自分の生きる道に灯を
燈してくれる瞑想法への導きをもらった。

これはなによりの贈り物。本当に心の底から感謝してる。

今思えば、中国で私の受けたボディーブローは日本でも
日常茶飯事起きていること。たまたま私はそういう出来事を
中国の地で経験しただけのことだ。

だから、稲盛さんの本は日本でも大反響なのだろう。
日本人も、いや人間なら誰でも「正しく生きたい」って
心の底で思ってるのだから。

2013年1月15日火曜日

2013年、スタート

2013年がスタートしました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

千葉の古民家での生活、都心のマンションでの生活の
行き来で、まだまだ落ち着きの無い生活ですが、とても
充実しています。

充実しすぎてて、ブログに書く余裕も無いほどで、報告が
全く出来てませんが(汗)、少しづつ、日々のつぶやきを記事に
して行きたいと思います。


今年の目標をなにか定めよう、かと思うのですが、今自分が
大事にしていることの一つ一つを丁寧にこのまま続けて行くことが
やはり一番大切だと。

なので特別になにか「目標’というのはないのですが、敢えて言うならば、
日々の生活を大事に、ということでしょうか。

*************

新春号の「日経ビジネス’に日本航空名誉会長である稲盛和夫さんの
インタビューが掲載されていました。「中国とは『徳』で接せよ」
というタイトルが付けられています。

インタビューの中で孫文の神戸での公演の言葉を引用されていました。

「日本は明治維新を迎えて欧米の近代文明を取り入れ、繁栄を遂げようと
している。その欧米文明というのは覇権の文明、力の文明です。
しかし、東洋には、人間の徳で治めていくという王道の文明が
あります。欧米文明を取り入れて覇権の道を歩くのか、それとも
古来東洋に存在する王道の道を歩くのか。日本の将来は皆さんの
選択にかかっています。」

「徳」という言葉は、瞑想を始めて以来私にとって、とても大事な言葉です。
なので、このインタビューの内容にはとても興味をもちました。

旅行などでヨーロッパの王室や、その立派な建物や持ち物などを
みるにつけ、「覇権」「力」を示す文化、を感じます。そして、
それらをみて「すごいなあ」とか「素敵だなあ」と思うけれど、
私に取っては、日常の中の、人間がもっている徳にあふれた言葉
や行為に触れた時の心震える瞬間にはとうていかないません。

稲盛さんは日中関係について「人間性からほぐしていけば、時間は
かかるかもしれませんが、解決できるでしょう」と話されています。

一人一人の人間が徳を積む生活を心がけ、徳を持って人と接する時、
自ずと心は通い合う。これはこの世の摂理だと思います。

自分がそういう人間であることができるよう努力をすること。
それが平和で穏やかな世界を作る一番の貢献ではないかと思います。

”不徳の致すところ”ばかりの自分を省みながら、そんなことを
考えました。日々精進です。



2012年10月15日月曜日

今日はトイレのリフォームについて。

先日のブログで、迅速さや効率を求める人からすれば
「何を馬鹿なことを」と思われそうな、不便を厭わない
暮らし、のことを書きました。

効率も大事。どちらかというと、普段の生活では、
私はものすごく効率を重視していると思います。

効率が悪いことを嫌ってる、と言っても良いかもって
ぐらい。

そんな私がどうしても効率を厭わず”好きなこと”は
家に手をいれること、です。

「都心に住む人にとっては部屋は寝るだけのスペース。
当たり障りないインテリアであることがありがたがられるんです」
と、以前不動産屋さんから聞きました。

私にとっては、家は自分が心地よく暮らすための一番の基礎。
与えられた空間や条件の中で、いろいろと工夫して自分なりに
快適に過ごすための作業をするのが、楽しくて仕方ありません。


今日の話はトイレ。トイレのリフォーム作業のレポートです。

まず、ビニール製のクロスはすべて撤去。
そして、漆喰を塗りました。漆喰にすると嫌な臭いが
まったくこもらなくなります。湿気も調節してくれるし、
本当に心地よくなります。

そして、次に気になったのが床。

どうしても、クッションフロアの足ざわりが心地よいと思えず、
フローリング貼りたい、と思ってもそれは手間と費用とが
かかりすぎ。

以前、表参道のフレンチアンティークを扱うお店で何気な~く
目にしていたのがこれでした。そうだ!これを使ってみよう。













通販で買えます
”オルネ ド フォイユ” こちらです。

厚さが2㎜程しかないので、扉の開け閉めも心配すること
ないし、シールで貼れるので超簡単。カッターなどで
切ることが出来、歩いた感じは木のようで、本当に良く
出来てます。

ソフト幅木も嫌いなので、幅木は本物の木を購入。
のこぎりでサイズに合わせて切って、仮置き。

幅木はこちらで買えます
”みはしショップ”

こんな感じだったのが・・・



















こんな感じに~♪




 



 この貼り方にしたのも結構満足です。

そして、今日ロンドンで購入したトイレットペーパー
ホルダーが届きました。あと、マットも。




















トイレの壁を漆喰で塗った際にホルダーを取り外して以来、
なんかよいホルダーないかな~と思ってたんですが、
どうしても気に入ったものが見つからず。

そうこうしているうちにロンドンでこのホルダーを発見し、
そうだよね、壁につけなくても良いじゃない!と思い、
即刻購入。

やっと届いて、これで暖房便座の操作盤にトイレット
ペーパーを置いて使っていた日々からも解放されます(笑)。


さて、ここまで来たら次は、白木のまま残されている幅木を
ペイントする作業と、その他装飾。

またここからしばらく考える作業が続きます。
何色にしようかな~、どんな小物を置こうかな~。
考えてる間は作業は先に進まないので、またこのままの
状態で数か月過ぎてしまうかもしれない。

でも、こうやって考えている時間が私は大好き。

なので、家に半年カーテンがなかったり、照明が
1年なかったりするのもざら(汗)

家のいたる所がお気に入りの場所になって、家での
時間がとてもハッピー!になれます。

難しそう・・・・とか、思う人もいるかと思いますが、私は
いつもそういう人に「やってみようと思わなければ、
出来るはずないよ。やってみれば、試行錯誤すらも
楽しいんだから♪」っていうんです。

私は素人。プロのような完璧さなんて求めてない。
寸分の狂いも許せなければ最初からプロにお願いすれば
良いけれど、私はそんなことよりも、自分で手を入れる
楽しさを優先します。

最近家に来て、私たちのDIYの作業を見たリフォーム
業者さんに真剣な顔で聞かれました。

「奥様は、何をやっている方なんですか?!」

いつか「『奥様は魔女』です」というジョークを軽く飛ばせる
懐の深い人間に、私もなりたい、です(笑)。

家は住む人にとっての”キャンバス”ですね。
楽しみは、今自分のいる場所に無限にあります!!

2012年10月10日水曜日

美しい景色のおすそわけ

北海道の、有名なガーデンと言えば、上野ファーム

上野ファームで庭を作るきっかけとなった頃のお話を
読みました。多分、この本だったと思います。






お米を買いに来る方に「少しでもきれいな農場を楽しんで
いただくため、また、、農村の景観をもっと魅力的にするため」
という理由で花壇を作り始めたのがきっかけだそうです。

足を運んでくださる方のために、美しいお花でお迎えしよう、
という想い。なんと素敵!


今年の夏、Biburyというイギリスのコッツウォルズにある村を
訪れました。ウィリアムモリスが、イギリスで一番美しい村、
といったと言われています。

その言葉通りでした。
息をのむほど美しい。

 





この景色を、そして、この16世紀頃からの家を維持するために、
多くの人が、決して簡単ではない努力をしているということが、
すごく実感できました。

イギリスでは指定保存建築物になった建物は、例えば屋根の
修復をするにも自治体からの許可がなければ直すことが出来
ないので、許可が出るまでの時間、時には1年も2年も、雨漏りの
する屋根と共に時間を過ごさなくてはなりません。

そして、使える建材も全て決まっていて、それは決して安価な
事だけを優先したものではなく、こういうこと一つとっても
このような建物に住むには、相当の責任感を伴うということが
分かります。

しかし、反面、たとえば家をペイントする色も全て指定がされて
いるため、なんだかヘンテコな色の家が突然出現するような
状況にはなりません。

一人一人の人が、歴史を経てきたものを尊び、それをこよなく
愛し、美しく暮らすことを自らの喜びとしているからこそこの
風景や守られているのであって、経済・効率・迅速さ・手軽さ
を優先する社会では「なんと馬鹿げたことを」と思われるに
違いありません。


古民家と共に暮らすようになり、以前よりももっとしみじみと
このことを思います。

すきじゃなきゃ、出来ないよね、って。

そう、私はこういうのが「好き」なの!
「楽しい」の!!


都会の暮らしは、ありがたすぎるほどに効率的で、
便利。寒くても、暑くても、暗くても、風が強くても、
夜でも、朝でも、外のことに全く影響されないで
暮らすことが出来る。

その暮らしは、ともすると、人間としての機能をどんどん
鈍らせているように感じます。

人の感覚器官は、使わなければどんどん衰えるんだそうです。
そんなの、楽しくない~(>_<)

都会のど真ん中に育った私だからこそ、一見不便と思える
暮らしに興味があるのだなって。そういう暮らしが「楽しい」な、
って思えるんだな。

楽しいと感じることに正直に、暮らしていきたいです。

 
まだまだ、草刈りに追われるばかりで、素敵な田舎を実現出来るにはしばらくかかりそう・・・




2012年10月5日金曜日

「自由」について思うこと

大学時代の友人がtwitterで

「自分をコントロールしようとしてくる人にはかなり
反発心もってしまうな。絶対的な正しさなんてないのに。
あなたの正しさを押し付けられても困る。」

って、つぶやいてた。

これ、すごく心に響いた。
私はこう返信した。

「私もこの夏、このことを深く観察したよ。
自分の行動の、思想の自由を制限されることに
ものすごい嫌悪を抱いて生きてきたことに改めて
気がついた。

でも、嫌悪を抱く必要はないんだよね、ただ相手の
コントロールを受け取らなければ良いだけ。
平静な心はやはりステキです(*^^*)」

・・・・・・・・・

私は10代のころ、親が私に対して良かれと思って
やってくれることにすごく拒否反応を示していた。

例えば、私のために、と貯金をしてくれてたのを
「迷惑だからやめて!」と言ったりして。

そのやり取りをした時のことを明確に覚えていて、
私はその時の自分の興奮した様子まで思い出すことが
できる。

この夏、なぜ私がそれほどまでに嫌悪感を
抱いたのか、ということの答えにいきついた。

私は、親にお金を出してもらうことで、自分の自由を
制限されたくない!と思っていたんだ、ということに。

ちょっと考えてみれば、学費だって、生活費だって親の世話に
なっているっていうのに、なんと馬鹿げた反発だろう、って
思うんだけど。

あのころの私には、そんなことすら分かってなかったんだね。
愚かだわ~って思う(笑)。

私にとってお金=支配、という構図だったのだと思う。

私が真になにを望んでいたかと言えば「自由」なんだと思う。
行動の、思想の、自由。
私がやることを制限しないで!って言いたかったんだろう。

そして、思いっきり嫌悪を抱いて反発してた。
「力いっぱい」って感じで。

20年の後に、そのコントロールを受け取らない術を
修行することになるとは、まったく予想もしてなかったけど。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


"Hairspray"というミュージカルをN.Y.で観ました。
映画でもヒットしてたから結構有名ですよね。


 

その中に"Mama, I'm  A Big Girl Now"という歌があります。
(リンクをクリックすると音声でます-Youtube)

私はこの歌が大好きです。



これは歌詞の一節です。

Ma, you always taught me
What was right from wrong
And now i iust wanna give it a try
Mama, i've been in the nest for far too long
So please give a push and mama watch me fly


「ママはいつも私にものごとの善悪を教えてくれてたよね
いま、私はそれを試してみたいの
ママ、私は″巣″の中であまりにも長い時間を過ごしちゃったのよ
だからお願い、私を一押しして、私がはばたくのを見ていてちょうだい」


私は、自分が失敗する機会、痛い思いをする機会、
そこから学ぶ機会を誰にも奪われなくない!と必死だった。

そして母は、私が痛い思いをしないように、辛い思いを
しないように、と心をかけていてくれた。

母が亡くなった直後は「もう少し甘えたほうが親孝行
だったかな?」なんて思った時期もあったけど、かたくなに
反発していた自分をやっと理解できて、今、やっとその頃の
自分を受け入れられるようになった気がする。


自分の自由が大事なら、相手の自由も大事にしなくちゃ、って
そう出来ていない自分を反省するばかり、なのだけど。

でも、少しづつ進んでいると思いたいです。

2012年10月4日木曜日

飾り気がない、こと

1つ前の記事で、瞑想の先生方があまりにも「ふつう」で
飾り気がない、って書きました。

ふつうでつまんない~、とか、そういう意味では全然
ありません(笑)。

むしろ、普通、であることのすごさっていうか、まったく自分を
背伸びしたり、大きく見せようとかしないことのすごさ、
っていうか。

まさに「自然のままに」って感じ。

それってすごいことだよな、っていつも思います。。
そういう素晴らしいお手本がそばに居てくれることって
とてつもなくありがたいことだって思う。

そして、そうではない自分=背伸びしたり、飾ろうとする
自分に気が付く。そういう自分ってダメじゃん、っていうことじゃなくて、
今の私はそうだな、って。

瞑想仲間と一緒にいると、自然のままでいられることが
多いと感じます。。だから、すごくホッとするし、表現悪いけど
「なーんにも考えてない」感じがする。どう見せようとか、
そういうことに全く頭を働かせてない、っていうか。

そして、それがもっと感動なのが、自分が自分らしさを
発揮して、仲間もその人らしさを発揮してると、なんか、
思いもよらぬほど、うまーく調和がとれてるってこと。

1人じゃ到底できないことが、こんなに素晴らしく美しく実行
されちゃうんだ~♪って、感動さえしてしまう。


全体を俯瞰することが得意な人もいれば、細かいことを
こなすのが得意な人もいる。身体を動かして働くことが
得意な人もいれば、事務仕事が得意な人もいる。

仕事がとにかく早いタイプもいれば、じっくり取り組むタイプもいる。
話したり交流をするのが好きな人もいれば、黙々と1人で
こなすのが好きな人もいる。

ありのままを受け入れて、お互いの自由を敬うとこんな世界が
あるんだよ、っていうことを、目の前に「ほらねっ」って広げられてる
感じ。


私はこういうことに深い感動を覚えるタイプ、なんだね~って思う
今日この頃です。


2012年10月3日水曜日

天真爛漫


<天真爛漫 >
飾らず自然のままの姿があふれ出ているさま。
生まれつきの素直な心そのままで、明るく純真で無邪気なさま。
▽「天真」は純粋な性格、「爛漫」は自然のままに輝き現れる様子。

・・・・・・・・・・・

瞑想の指導をしてくださる先生や瞑想を長く続けている方たちと
親しくさせていただくようになって、その姿をみて思った言葉、
それが「天真爛漫」でした。

今まで、日常生活の中でこの言葉を使ったことって
あまりなかったけど、もう”この言葉しかないよね”って
ぐらいピタッとくる感じ。

私の中では瞑想って、あるいは「中庸」とか「平常心」とか
「バランスのとれた心」って、なんだかちょっと高嶺の花っていうか、
高尚な感じっていうか。そういう”ありがたい”って感じがしてた。

だから、瞑想続けてると、偉い人、とか、ちょっと難しいこと言う人、
とか、そういういわゆる「オーラがある」みたいな人になっていくのかな?
なんて思ってたし、そういう理想を心に抱いていたように思う。

でも、先生方とかって全然そうじゃない。
あまりにも普通、っていうか、あっけないほど飾り気が全くない。
ちょっとこちらがびっくりするぐらい。

そんな中で思ったことは、修行をする行く末、人は「一つの完成形」
のようなものに近づいていくのではなくて、人は一人ひとり
自分らしさを完全に開花させていくんだ、ってこと。


ひとつひとつ結び目から解放されて、自由になることは
すごく素敵なことだと思う。その機会を一人でも多くの人が
享受できたらいいな、って思う。


2012年7月19日木曜日

バッチフラワーレメディ セミナー2回目終了しました!

7月18日、バッチフラワーレメディのセミナーの2回目が
終了いたしました。

暑い中、足を運んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。
そして、このような機会を作ってくださった、ホメオパシーセンター
方南町の片桐先生はじめ、みなさまに感謝いたします。

セミナーの10日ほど前に風邪を引き、今回は結構長引いてしまったので、
当日、咳き込みはしないかとちょっと心配でしたが、レスキューレメディを
飲みつつ、無事に乗り切ることが出来ました。

バッチフラワーレメディは、とても手軽に、あまり難しく考えずに
摂ることができます。選択を間違えても大丈夫。

「今の自分」の思い、に着目し、自分を観察することで、レメディを
選びます。

例えば今回風邪をひいた私は、最初の3日ぐらいは身体のリズムに任せて
あるがままに過ごしていましたが、その後は、なかなか終わりが見えない
咳の状態にイライラしたり、早く良くならないかとちょっと焦ったりして
いました。

そんな気持ちにピッタリなレメディは「インパチェンス」。

どんなときも最短距離を、そして効率を重視し、身体の具合が
悪いときにも「早く良くならないと!」と感じる。そんな風に
バランスを崩している自分に気がつきながら、インパチェンスの
レメディを摂りました。

身体のやりたいようにやってもらおう、きっと大丈夫だから、という
安心感が感じられるようになりました。そして、ギリギリでセミナーにも
間に合って、無事に3時間お話をすることが出来ました。

セミナーに参加してくださった皆さんは、既に自然療法にとても理解が
ある方達です。これから、どんどんフラワーレメディを生活の中に
取り入れてくださって、みなさんがご自分自身の人生を謳歌される
ますように。

共に学ぶ時間を過ごせましたこと、ありがとうございました。


**************


風邪が長引いてやきもきしていた私がインパチェンスを飲んで
思ったこと。

聖書の中の一節が頭に浮かびました。


だから、わたしはあなたがたに言います。
自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、
また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。
いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなもの
ではありませんか。

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることも
しません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださる
のです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを
少しでも延ばすことができますか。

なぜ着物のことで心配するのですか。
野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、
紡ぎもしません。

しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、
このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。

きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに
装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらない
わけがありましょうか。
信仰の薄い人たち。

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと
言って心配するのはやめなさい。

こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。
しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要で
あることを知っておられます。 
(マタイ 6.25~32)


安心して休むこと、任せること、休みきること。
私のチャレンジはまだ続きそうです。

少しづつ、少しづつ、進んで行けますように。

2012年6月13日水曜日

びっくり!すごいな~ハイテク。

以前住んでいた家は軒が深くて涼しくて。
直射日光にさらされることがありませんでした。

今度の東京での住処はマンションの5階。東南向き。
明るくていいね~、日当たりも良いね~♪とも言いますが、
以前の家に比べると、かなり「暑い」。

これからお日様ジリジリの季節。

家具も紫外線焼けしちゃう。
もちろん私たちも暑さに耐えられるか心配・・・。

ということで、今まで必要なかった「遮熱」とか「紫外線カット」
とか、そういう類のものが必要になりました。

興味を持ったのが、こちらの会社さんで扱っている遮熱コーティング。



http://www.ecop.jp/


様々な質問にもすごく丁寧に答えてくださり、遮熱の具合を
体感することが出来るキットまでお送りくださいました。

そして、いろいろと検討した結果、当初の予定通りコーティングを
していただくことに。

(窓ガラスなどの条件により、すべてのケースで実施可能とは
言えないようです)

施工中も丁寧に説明をしながら作業をしてくださって、実際に
電球の熱の感じかたがどれだけ変化するかも実験してください
ました。

作業をしていただいた時は梅雨空の涼しい気候。
この効果が感じられるような晴天の日に、私たちが実際に
どう感じるか、今からが楽しみです。

効果は15年以上にわたる長期的なものだそう。
多少の劣化(たとえば紫外線のカット率は10年で7%ぐらいは
落ちるようです)はあるものの、それでもやはりすごい効果です。

すごく良い業者さんと出会うことが出来て、良かったです。


真夏に向けて、このコーティングのみならず、遮熱のカーテンや
緑による遮光なども、重ねて検討していこうと思っています。



千葉の古民家では「よしず」や「すだれ」を使いたいな~って思うけど
(それ以前に、多分古民家は真夏でも相当涼しい!はず)都会の住処は
ハイテクを取り入れてみました。

昔からの知恵、も「すごいな~」って思うし、こうしたハイテク技術も
「すごいな~」って思う。

なんだかタイムトラベルしてる感じで、最近ますます楽しいのです。




日本の夏!って感じしますよね~
 (株式会社 清水金物さんのサイトから拝借しました)

2012年6月6日水曜日

なんだかよくわからない感じ。

いきなり、変なタイトルですが、今の自分の感覚を素直に表現すると、
こういう感じなんです。

ブログのプロフィールにも私自身を「意味を考えること、筋が通っている
ことが大事」な人、と自分で表現しているんですが、なんだかこの感覚が
最近雪崩のように崩れている感じです。

<自分の感じている感情や感覚の理由や原因を考えることに
意味がないこと>

<物事が起きたことの意味を探ることに意味がないこと>

これらの気持ちがひしひしと、ずっしりと私の中に存在しています。

そして、

<今の感覚を判断なくありのままに受け入れること>
<自分の中にこんな感情、感覚があるのだなあ、と常に観察すること>

を一瞬一瞬つづけることだけが、私が生まれ、生きている目的であり、
たくさんの縛り目から解放してくれるんだなあ、という思いが
日に日に実感されています。

縛り目を作り続けてきた人生から、縛り目をほどくプロセスへ。

まったく違う感覚なので、「なんだかよくわからない感じ」です。
でも、わかってるのは、今の方が力を使ってないな=楽だな、ってこと。


引っ越しという環境の変化が大きな機会となり、なんか自分自身がすごい
変化をしている気がします。

2012年5月30日水曜日

新しい革袋

聖書の中に「新しい葡萄酒は、新しい革袋に入れなくてはなりません」
という聖句があります。

今回、引っ越しするにあたり、易者の方にアドバイスをいただきました。

「引っ越し先には、引っ越し先の持つ『気』があります。
今までの生活のままを持ち込むのも決して悪いことではありませんが、
新しい場所に行くことで自分も変化するのだという気持ちでいるのも
良いのではないでしょうか?」。

もっともだなあ、と思いました。

今回、引っ越しをするにあたり、淋しさ、いらだち、懐かしい気持ち、
喪失感、馴染むまでの不安感・・・などなど、さまざまな感情が
交差しました。片づけも忙しかったけど、心の中も相当忙しい
感じでした(笑)。


やっと少し落ち着いてきて、なんだかものすごく時間がたくさん
経ったように感じられます。すごくたくさんのもの、こと、が自分の中で
変わったように思えるのです。


私たちは新しい革袋を求めていたのかもしれません。
そして、望ましいタイミングで、適切なことがおきてくれた。
新しい葡萄酒が器を求めて、いっぱいいっぱいになっていたの
かも。



**************************

引っ越しを機に、買い物が結構続いています。
気分一新、というのはやはり気持ち良いものだと思います。

ガスコンロは以前使っていたものを新しい家に移設したけど、
コンロのトッププレートなどは新しいものを買いました。


http://www.rinnai-style.jp/
部品を変えるだけで、リフレッシュできますよね


服を入れるものも、新しい家のクローゼットのサイズにあったものを。

この桐のパレットチェストは以前から使っていますが、
これはJohn Smedleyのニットを収納したいがために
探した収納。


キッチンのパントリー部分に合う収納も、購入。
そして、一部は使いやすい引き出しを作るべく、木工作業に挑戦の予定。

木工作業の指導をしてくれて、工房を使うことが出来る
すごくありがたい存在。


今回は1つの家→2か所の家なので、調理道具も基本的に
全て買い足しです。動線が定まるまで買えないものもあるので、
それはじっくり検討。


まだまだ完全に落ち着くまでには相当かかりそうだけど、
それ自体が楽しみなのです(^-^)

そして、何より、家自体の手入れもまだまだ先は長い。

私たちはやっぱり家をいじることが大好きなんだな~
って思います。

はやく皆さんに遊びに来ていただるように、頑張りまーす!












2012年5月21日月曜日

引っ越し、一段落。

3日に及んだ引っ越しが、一段落しました。
引っ越し作業に当たっては、本当にたくさんの方の力をお借りしました。

雨の中、そして、夏日の日差しの中、私たちの引っ越しのために
ご尽力いただいて、心から感謝です。

今回の引っ越しで思ったこと、いろいろありました。

一つ思ったのは、歳を重ねるにしたがって、「動く」ということに力が
いるようになってくるのだな、ということ。それが「ストレス」に感じる、
という風に言い換えても良いのかもしれません。

私自身の性格的には相当ぴょんぴょんと移動し、フットワーク
軽いと思うのですが、それでも、やはり今回の引っ越しは大変力が
いりました。

でも、同時に思ったのは、自分自身にたくさんの「何か」が
くっついてしまっているのかもしれないな、ということ。

持ち物の多さ、人間関係、家への思い入れ、これが
少しづつ堆積して、こうして「動く」ことを難しくしているのかとも
思いました。

そういう意味では「歳」は関係ありませんね。




夫と二人で初めて暮らしたメルボルンから、東京に戻るときの
引っ越し荷物は、ちょっと大きめの段ボール2つだけでした。

東京に戻ってからの仕事のあてもなかったし、住む場所も
決まってなかったし。文字通り”何も持ってない”感じでした。


いつの間にやら物が増えて。
一つ一つに思い入れがあって。

今は、それらの物や、思い入れを楽しもう!という思いで、
それらを幸せに愛でています。
そして、その生活を楽しんでいます。

でも最近感じるのは、物を持ち、それを大切に扱い、愛でるには
体力がいる、ということ。

自分の体力にあった物の数を常に維持すると
いうのは、とても大事なことに思います。

40歳の今、私の体力、気力は自分の人生のピークにあるのではないかと
感じています。これは一人ひとり感じ方が違うから、それぞれの人に
あったやり方があると思いますが。

そして、自分たちがこの人生を終えるときには、何も持たずに
すっきりと旅立ちたいな、って感じています。この先自分がどう
感じるのかはもちろん不確定ではあるけれど。


引っ越しの荷解き作業中たくさんの物に囲まれがら、
こんなことを思いました。

2012年5月14日月曜日

ついに引っ越しです

紆余曲折ありましたが、いよいよ、ついに、引っ越しをすることになりました。

今日は、パッキングをお手伝いに来ていただき、家の中がきれいさっぱり引っ越し準備万端となりました。

この家には思い入れがたくさんあります。

自分たちで漆喰を塗って、壁紙も貼って、キッチンカウンターの収納も作り、本棚も作り。

庭も、二人でデザインを考え、何も手入れをしなくても自然にきれいな状態が保てるようにいろいろ工夫しました。





段ボールが積まれた部屋を見ると、万感の思いがこみ上げてきます。
思いだけでなく、涙も。

途中上海にいた2年+αを除いた約7年間、この家での思い出は数限りなくあります。

たくさんの方に来ていただいて、愛していただいた家でした。
足を運んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。

みなさんのお蔭で、私たちはさまざまな経験をさせていただいて、楽しく幸せな時間を過ごさせていただきました。

1年に1度ペースで引っ越しをしてきた私たちにとって、この家は本当に特別でした。自分がこの場所にこれほどまでに思い入れがあることも、こうなってみて初めて感じることが出来ました。

感謝と共に、新しい場所、新しい自分への一歩を踏み出したいと思います。

新居―新宿区内と千葉の古民家―が落ち着きましたら、ぜひぜひ遊びに来てください。

*今までHealthy,Tasty&Wiseのクラスに来てくださっていた方々には
転居のご案内等を後日送らせていただきます。

ご挨拶が遅くなりまして申し訳ございませんが、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

2012年4月14日土曜日

月の癒し

占星術に興味を持って以来、「宇宙」という存在がだんぜん
興味の対象となりました。

去年出会った本。

「月の癒し」



 
チロル地方に伝わる、心と体を美しく導くための「月のリズム」健康法
―、と帯に書かれています。
 
「健康法」を超えて、すごく気づかされることが多い本です。
 
たとえば今日は満月から新月に向かう「かけていく月」で、月が
みずがめ座にいる日です。
 
星座と体の各箇所は関連性があります。みずがめ座は下肢と関連。
膝から下ですね。
 
こういう日は膝から下の手入れをするのに向き、逆に膝から下に負担を
かけるといつも以上に負担がかかる、といわれます。
 
静脈瘤ができやすい人などはこういう日に手入れをすると良いんだそうです。
 
とても面白いですよね。
 
私が「今日はひざ下のむくみの手入れをしたいな~」と思って
この本をふと見てみると、やっぱりみずがめ座の日だった、とか
「今日は頭のマッサージがすごくしたい!」と思ってこの本を開いてみると
やっぱり牡羊座の日だった、ということがとても多い。
 
こんなふうに自然と感じられていることがすごく不思議。
 
 
数日前から夫が珍しく風邪気味。
というか、春のデトックスって感じの症状です。
 
先ほど書いた通り、月が満月から新月に向かっている今、身体は
デトックスにとても向く時期です。なので、あまり余計なことはせず、
身体の応援をしながら冬の間に溜まった余計なものを出してあげる
助けをする。
 
こんにゃく湿布や、大根湯(大根おろし、生姜、番茶の組みあわせ)を
使って肝臓、腎臓の応援をしています。そして本人いわく、バッチフラワー
レメディのクラブアップルでうがいをするとすごく楽になるそう。クラブ
アップルは、まさしく「浄化」のレメディです。
 
広大な宇宙の中で、地球が回り、その周りを月が回り、季節は巡る。
月は満ちたり、欠けたり。晴れる日もあれば、雨も降る。こうした
大きなリズムの中で、自分の身体や心の変化を観察するのは
とても興味深いです。
 
 
 

2012年4月13日金曜日

千載不朽

私は3人兄弟の末っ子で、多くの大人に囲まれて育ちました。そして都会
育ちの私の周囲には同じぐらいの年の子供はあまりいませんでした。

そんな環境でしたから、ソツなく、(ずる)賢く、大人っぽい子供でした。
要領が良くて、人並みか、それ以上になんでもこなしてしまう。
経験が伴わないのに、出来てしまう。

私がなぜ要領よくソツなくこなせる人だったかと言うと、「周囲の大人が
そう語るのを聞いて」、あるいは「本の中でそう語られるのを読んで」
「だったらこうやればうまく出来るに決まってるじゃない」という計算の
もと、物事に取り組んでいたからです。

人の言ったことをベースにしているから、大きく失敗することもない。
かといって、自分で試行錯誤しているわけじゃないから、大きく満足を
得ることもない。

頭でっかちで、精神的には満足が得られない、という大変望ましくない
状態です。


私が15歳ぐらいだったとき、祖父がお年玉の袋に「知識は千載不朽の宝なり」
というような言葉を書いてくれたことを覚えています。その頃の私は学校での
成績が良かったので、祖父はそれを喜んでくれたのだと思います。

そんな些細なことをはっきりと思い出したのは、インドでのヴィパッサナー
瞑想10日間コースを初めて終えた時でした。

その時私はこう思ったのです。

「私が本当に得たいのは『知識』ではなく『智恵』なのだ」と。
そして、この瞑想法は私に欠けている「経験から得る知恵」
だけが自らの宝になると言っている。「私はやっと自分が求めていたものに
出会うことが出来た。」と。


子供のころから、ごく最近まで、私の中には「言われなくてもわかってる(怒)」
という気持ちが相当ありました。人から何かを指摘されたときに、大きな
反発心としてでてくる気持ち、それが「わかってるよ」「承知してます」
「言われなくても知ってるよ」という気持ちでした。

プンプン怒って、身体が緊張して硬くなって、とてもじゃないけどリラックス
してるとは言えない状況を引き起こしてました。

周りの人が私の行動を見て、あるいは言葉を聞いて、何かを指摘してくれる
とき、明らかに「わかってない」って感じるからこそ言ってくれてるのに(笑)、
そんなありがたい機会にも関わらず、お構いなしに私は「わかってる」って
反発してた。


本当に分かってたら、”分かっている人”の言動が取れるはずだけど、
分かってないから、分かってないように見えるし、事実分かってない。

そんな、明らかに腑に落ちてない状態にもかかわらず、私が
「分かってる」って思い込んでたのは、他人から聞いたから、
あるいは他人の経験を本によって得たから。

「それって全然「『分かってない』っていうんだよ・・・(>_<)」っていうことに、
瞑想をやるようになって、気が付いてしまった。
なんとも、顔から火が出るくらい恥ずかしい。

でも、すごく楽になったんですよね、私は何もわかってない。
だから、一歩一歩経験していけばいいんだ、って思って。

このことに気が付いて以来、数年間、私は全く本を読まない人と
なっていました。まったく読みたくなくなってしまったんです。
全然興味がわかない。


なぜかと言えば、多分、それは、「人がどう言おうが、人がどんな
経験をしていようが、それは他人の言葉、経験。私に今必要なのは、
自分自身の経験。」と思ったからなんだと思います。



ここ1-2年、やっとまた少し本を読むことが出来るようになりました。

本から得るものもとても大事。インスピレーションや知識をもたらして
くれる。

でも、私の場合、明らかに自分としての経験が足りなすぎたんだと思い
ます。そんな時に本を読んでももっともっとバランスが崩れるだけ。
頭でっかちになって、精神的に不安定になる。「わかってる」という思い
ばかりが強くなって、緊張感が生まれる。


「千載不朽」の意味にもあるように(↓下記説明を引用しました)
才は「表面的な才能や能力」。私に必要だったのは「徳」の部分
だった、ということです。

おじいちゃんがこの言葉をお年玉の袋に書いてくれている時、
字を書くことも読むことも出来なかった”学のない”おばあちゃんは、
塵ひとつない家を、またお掃除していました。

いつもきれいに掃除された家、ピシッとたたまれた洗濯物。
そして近所の方には笑顔で大きな声であいさつをする祖母。

祖母の最期は、全く徳に満ちた人にしかできない、素晴らしい
死にかたでした。

全てはバランス。

”おじいちゃん”と、”おばあちゃん”の中庸を生きられるように
なりたいな。


::::::::::::::::::::::::

 *「千載不朽」とは

「いつまでも朽ちずに残ること。

価値を失わずに永遠に残ること。
名声や事業がはるか後世まで伝わること。
載は車+戈+才。

才は川の流れをせきとめる堰を描いたもの。
禹の治水事業に見えるように古代では川の氾濫など水害は災いの最たるものであり、これを制することから才能の「才」の意味となる。

また、戈は古代の武器を示す。
よって、戈+才で断ち切ってとめるの意をもつ。
これに車がつくことで「載」となり、車の荷が落ちないようにしっかりと止める意味となる。」

「才」とは

「表面的な才能、能力。

知識や弁論、詩文などの付属的な能力。
己に付したものであって、己本来のものではない。
尚、人物の分類として才と徳の大小によって論じることがある」


語彙辞典」より引用させていただきました。
















kominka

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