2012年10月5日金曜日

「自由」について思うこと

大学時代の友人がtwitterで

「自分をコントロールしようとしてくる人にはかなり
反発心もってしまうな。絶対的な正しさなんてないのに。
あなたの正しさを押し付けられても困る。」

って、つぶやいてた。

これ、すごく心に響いた。
私はこう返信した。

「私もこの夏、このことを深く観察したよ。
自分の行動の、思想の自由を制限されることに
ものすごい嫌悪を抱いて生きてきたことに改めて
気がついた。

でも、嫌悪を抱く必要はないんだよね、ただ相手の
コントロールを受け取らなければ良いだけ。
平静な心はやはりステキです(*^^*)」

・・・・・・・・・

私は10代のころ、親が私に対して良かれと思って
やってくれることにすごく拒否反応を示していた。

例えば、私のために、と貯金をしてくれてたのを
「迷惑だからやめて!」と言ったりして。

そのやり取りをした時のことを明確に覚えていて、
私はその時の自分の興奮した様子まで思い出すことが
できる。

この夏、なぜ私がそれほどまでに嫌悪感を
抱いたのか、ということの答えにいきついた。

私は、親にお金を出してもらうことで、自分の自由を
制限されたくない!と思っていたんだ、ということに。

ちょっと考えてみれば、学費だって、生活費だって親の世話に
なっているっていうのに、なんと馬鹿げた反発だろう、って
思うんだけど。

あのころの私には、そんなことすら分かってなかったんだね。
愚かだわ~って思う(笑)。

私にとってお金=支配、という構図だったのだと思う。

私が真になにを望んでいたかと言えば「自由」なんだと思う。
行動の、思想の、自由。
私がやることを制限しないで!って言いたかったんだろう。

そして、思いっきり嫌悪を抱いて反発してた。
「力いっぱい」って感じで。

20年の後に、そのコントロールを受け取らない術を
修行することになるとは、まったく予想もしてなかったけど。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


"Hairspray"というミュージカルをN.Y.で観ました。
映画でもヒットしてたから結構有名ですよね。


 

その中に"Mama, I'm  A Big Girl Now"という歌があります。
(リンクをクリックすると音声でます-Youtube)

私はこの歌が大好きです。



これは歌詞の一節です。

Ma, you always taught me
What was right from wrong
And now i iust wanna give it a try
Mama, i've been in the nest for far too long
So please give a push and mama watch me fly


「ママはいつも私にものごとの善悪を教えてくれてたよね
いま、私はそれを試してみたいの
ママ、私は″巣″の中であまりにも長い時間を過ごしちゃったのよ
だからお願い、私を一押しして、私がはばたくのを見ていてちょうだい」


私は、自分が失敗する機会、痛い思いをする機会、
そこから学ぶ機会を誰にも奪われなくない!と必死だった。

そして母は、私が痛い思いをしないように、辛い思いを
しないように、と心をかけていてくれた。

母が亡くなった直後は「もう少し甘えたほうが親孝行
だったかな?」なんて思った時期もあったけど、かたくなに
反発していた自分をやっと理解できて、今、やっとその頃の
自分を受け入れられるようになった気がする。


自分の自由が大事なら、相手の自由も大事にしなくちゃ、って
そう出来ていない自分を反省するばかり、なのだけど。

でも、少しづつ進んでいると思いたいです。

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kominka

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