2013年1月29日火曜日

SORELのブーツゲット!

千葉の古民家と都心の家を行き来するようになってから、
スポーティーなアイテムを物色しています。

特に、千葉の長南町の我が家は寒いので、ファッション誌で
防寒グッズを目にすると、真剣なまなざしでチェックしてます。

去年Preciousの誌上で見て、これは欲しい!って思ったブーツ。
SORELというブランドのカナダの防寒ブーツです。


去年探したときは、ちょっと大げさすぎるかな?というものだった
のですが、今年伊勢丹のセールでウロウロしてたら、↓のブーツ
が1万円近く安くなっているのを発見!

ということで、即ゲット♪








このブーツ、ほんとーーーにあったかい。
ブーツの中はいつもほっこほこです。

これで一面霜の降りた古民家の庭も、全然恐ろしくない。

今まで、あまりスポーティーなものを持っていなかった
私ですが、やはりその用途に合ったものを選ぶのはとても
大事だな、って実感します。

夫婦そろって「格好から入る」私たち(笑)。

がまんももちろん大事だけど、我慢だけじゃ続かない。
楽しむことって大事だと思う。
そのための装備があると、無理せず楽しめますよね。

ということで、今度はこの靴に合うコート類を物色中(笑)です。



2013年1月24日木曜日

美味しいご飯があれば

今、日本橋三越で、柴田慶信商店の催事をやってます。
慶信さんご本人が、売り場でお話してくれます。





「うちの主人は、このお弁当箱にしてから『玄米と梅干しと
たくあんのお弁当が本当においしい。ほかに何もいらない。』
って言って、毎日日の丸弁当を喜んで持っていくんです。」
という話をしたら、慶信さん、にっこり微笑んでくれました。



曲げわっぱのお櫃を買うまでに何年かかっただろう。
さわらの江戸櫃を8年位使ってましたが、ようやく自分にこの
お櫃を使う許可をおろしたのが、2年ほど前だったでしょうか。

買うことに決めて日本橋三越の売り場に行き、希望のサイズの
お櫃を手に取って「これください」って言った時、店員さんはびっくり
した表情で「予約なさってる方ですか?」って言いました。

聞くところによると、このお櫃は滅多に店頭に並ばないそうで、
お店に入荷しても予約されているお客さんに届けられるものが
ほとんどだそう。「店頭に買いに来て、その場で買える人なんて
いないんですよ。よほどご縁があるんでしょうね。」と言われました。

そして、その後、今度はお弁当箱を買いに行き、1つ購入。
もう一つ同じものを買おうと数か月後にお店に行った時も、
こういわれました。

「ここ数か月このお弁当箱は全然入荷がなくて、今朝入荷
したばかりなんですよ。よほどご縁があるんでしょうね。」

そんなこんなで、我が家のまげわっぱコレクションは順調に
増えまして(笑)、今はこんな感じ。














毎日使い続けるよりは、1日働いたら1日休み、のサイクルが
理想的なので、お弁当箱2つ、午後のおやつ用のおにぎり箱
2つ。

ホントはお櫃ももう一つあるのが理想的なので、いつか2つ
お櫃を持つという贅沢な試みをしたいです(笑)。


これに入れたごはんは、それはそれは美味しいんですよ。
ご飯を炊いて、炊き終わったらお櫃にうつす。
ここまでやって、初めてご飯の準備が出来ました、ってことだと
つくづく思います。

余計な熱と水分をとって、最適な美味しさを作り出してくれる。
ご飯を美味しく仕上げる、大切な”調理道具”です。

朝、炊けたご飯をこのお弁当箱に入れておく。昼に食べる
そのご飯は、本当におかずなんていらない美味しさ。

このお弁当箱を買ってから、おかずのないお弁当を、
自信を持って会社に持って行ってもらえる気持ちになりました。
本人が「おかずなくても全然かまわないよ」って笑顔で言って
くれるので。

いろいろな人の、いろいろな物のお蔭で、こうして心地よい
暮らしができていることを、ありがたく、本当にありがたく
思います。

感謝。














2013年1月23日水曜日

正しい、ってこと

昨日のブログで

何か方針、とか、理念とか、そういう判断基準になるものが
存在して初めてそれに基づいて判断する、ということをするのだから、
何かの事実自体には色はついてないっていうか。色を付けるのは自分
だけ、っていうか。」って書きました。

その判断基準が

”常識”

だったり、

”普通”

だったりするってことがあると思うんだけど、それってそもそも
なんだ?って思う。


私はもともと「常識」とか「ふつう」とか、そういうことをとても気にする
人でした。

そんな私の目からウロコをいっぱい落としてくれたのが私の旦那さん。
こういう風に書くと誤解をされそうだけど、彼には「常識」とか「ふつう」
という枠がとても少ない(笑)。

常識的なことに重きを置く私と、常識に囚われない彼の、それぞれの
良さが調和してハーモニーを生み出すようになったのは、それがお互いの
良さだと自分自身で受け入れられるようになってからでした。



昨日、いつも私が自然農法のお野菜の宅配をお願いしている
ナチュラルハーモニーからとても面白いメルマガが来ました。

その中の一部の文章をコピペさせていただきます。

「感じることの前に、概念を埋め込む。
ザッとではありますが、概念教育の成果を書き並べてみましょう。

・ 美味しいと感じる前に栄養素が高い・低い、良い・悪いといったもので判断すること。
・ 子供の歯が生えてきたのを離乳の時期と思わずに、“何ヶ月から離乳”と決めつけること。
・ 作品を一度も実際に読むことなく、作者と年代ばかりをただひたすら暗記すること。
・ 病気の症状も体からの自然な反応、そう考える前に無条件に“悪いもの”だと
決めつけること。
・ フレンチ・中華・和食とタテ割りにされた枠組みの中に終始し、素材がどう
料理されたいか?などとは考えないこと。

私たちはたくさんの思い込みや概念で埋めつくされていると言えそうです。
その肥大化により、本来備わった五感、感覚器官と脳とをダイレクトにつなぐ
ことが疎かになっている。それでは決まり切った尺度でモノゴトを判断する結
果を生みやすいのです。」(引用終わり)


私たちは頭でっかちな夫婦でした。(今もそうかな-笑)
2人とも末っ子だったから言ってみれば”調子が良い”って感じ。
最小限の労力で、最大の効果を得る、みたいな。
「小手先」ともいう(笑)。

だからこそ、本や人の言ったことをに基づく「知識」じゃなくて
、自分の感覚器官を通じて培った「知恵」の大切さを今、改めて
感じています。

自分の身体に染みついた「借り物の概念」をどんどん削ぎ落として、
概念にとらわれない、臨機応変な柔らかい人になりたいな。

あっ、また「柔らかな人」っていうのが「良い」っていう判断を
してるね・・・


全てはバランス。

1人ではバランスが取れず傾いているように見えても、
全体では不思議なほど調和がとれてたりする。

ひとりで生きてるんじゃないね、ってつくづく思う。


2013年1月22日火曜日

優柔不断

私のことを知っている方なら、「私」のイメージと全く相反する
言葉と思うんではなかろうか、とすら思う「優柔不断」というワード。

即断、即決、即行動、が私のイメージじゃないかな?傍から見たら。
考える、熟慮する、ということはあっても、「決められない」ということは
今まであまりなかったように思います。

その私が最近、
「あれ?私、考えがあっちに行ったり、こっちに来たりしてない?」
「決めたはずのことをまた考え直して違う行動とってる??」
「あれやろう、これやろう、とちょこまか動いて結局何をやってんだ??」
ということが、立て続けに起こってます。

「効率悪いな~、最近。なんか全然地に足ついてない感じ~」って思った
次の瞬間「あーー、私、迷ってるんだ、決めることが出来ないんだ!」って
気が付いた。

「決めることが出来ない」。今まで自覚して感じたことのない感情です。
(もちろん、自覚しないで迷路にはまってたことはたくさんあると思うけど)

また新たな経験の扉が開いた感じ。
生きてるのって、楽しいね~(^-^)って思います。

私にとっての「決められない」っていうのは、言葉を
変えると「どっちが自分にとって正しいのかが分からない」という
こと。

どちらが善なのか、悪なのか。
どちらが正解なのか、間違いなのか。
それが判断できないから迷ってるんだと思うんだけど、
うーん、そもそも最近、「どっちが正しい、とかないんじゃん??」
って思うことが多い。

というか、正否とか善悪とか、そういう両極からなる考え方
自体どうなんだ?って思うことが多い。生きていくってことは
全ての瞬間で相反する考え方の一方を選択し、他方を選択しない
という行動を繰り返しているわけなんだけれど、「どちらで無くては
ならない」ということはないんじゃないか、と思うのです。

何か方針、とか、理念とか、そういう判断基準になるものが
存在して初めてそれに基づいて判断する、ということをするのだから、
何かの事実自体には色はついてないっていうか。色を付けるのは自分
だけ、っていうか。

例えば甘いお菓子をいっぱい食べることが善か悪か、なんて人それぞれ。
健康を害してる人とか、どうしても減量したい人とか、そういうことを改善
したいっていう人には「悪」かもしれないけど、それを食べられることが
豊かさの証だったり、今日はお祝い!だったり、愛情表現だったり、
っていう場合、それを「悪」っていうのはどうなの、だよね。

だからと言って、自分の健康を脅かすことに無知なままよりも、自分を
健やかに保つ方法は知っている方が良いようには思うけど、それを
知らないことが悪いかっていうと、知らないからこそ出来る経験っていう
のがある。身体に負担をかけるものをたくさん食べ続けたりして病気に
なったとしても、その経験を通して初めて気づくことが出来ることがあるん
だから、それもありじゃん、ってことだし。

そう考えていくと、何が良いとか悪いとか言ってること自体は意味がなくて、
それよりも、自分自身が何を「良い」と思い、何を「悪い」と思って生きてるのか?
に気が付いていくことだけ、のような気がする

去年の10日間瞑想コースに坐ってる時に、私の中にある「こうなるべき」
とか「こうなるはず」という思考パターンの存在に気が付いて、「おー、
私はずっとこういう色眼鏡をつけて生きてきたんだな」ってことに気付いた。

「体が健康なことが善」
「心が穏やかなことが善」
「この世的に見た幸せな生活、っていうのが善」
とかね。自然とその思考パターンに支配されてる。

今までも、健康なことだけが善ではないよな、とかって頭で理解は
してたけど、自分がどっぷり「善悪」を判断するその思考パターンに
はまってるという現実に気づいた時は、結構「お~っつ!!」って感じ
だった。

今優柔不断になってるのは、そういう思考パターンに気づいたから
のような気がしてる。今までは迷わず自分の「善悪判断システム」が
即起動してたところで、そのシステムが働かなくなってきたんだと
思う。

ということで、今私は結構優柔不断。
そんな私をエンジョイ中。
(とはいえ、周りの方たちにはそれでも即決に見える、と言われて
ますけど・・・笑)。



2013年1月18日金曜日

1月30日、2月2日のお料理クラス

四ツ谷の家のセルフリフォームが少し落ち着いて、
やっとお教室を再開する気持ちになってきました。
 
私のワガママペースにお付き合いいただいている
みなさま、ありがとうございます(^_^;)
 
今年4月から、クッキングサークルを再開しようと
思っています。2-3月は瞑想のコースに参加するため、
そのあとに再開の予定です。
 
ということで、プレオープン企画として、通販生活の
かまどご飯釜」という商品を使っての「一汁三菜」クラスを
やります。
 
今回使う「かまどご飯釜」という炊飯器具はこちら。
 
 


 
 通販生活の誌上に載った時、すごく気になっていて、購入する気
満々だったのですが、今回これを貸してくださり「使ってみてください」
という企画に参加することができました。

ということで、これで炊いたご飯と、日常のおかず、の「一汁三菜」を
基本とした食事をいただきましょう、というクラスです。

何の変哲も無い毎日の食卓が健康を支える礎となる、ということを再確認していただけるようなクラスにしたいと思っています。
また、食事の後には身体と心の健康にまつわるお話もいたします。



【日程】
1月30日(水)午前10時半〜 (定員4名)
2月2日(土)午前10時半〜 (定員4名)

【費用】
4,000円


ONとOFFを繰り返しながらですが、お教室を初めて丸7年になろうとして
います。その間、自分がやりたいことも様々に移り変わってきました。

今私が改めて思うのは、私は「日々の暮らし」が何よりも大切、と感じている
ということ。そして、その一つの柱となるのは、なんの変哲もない日々の食卓
だ、と思ってるということです。

理論や、哲学や、知識ももちろん大事。でも、季節がめぐるままに
その時いただく食べ物をその味を生かしていただく。その土地と、その
文化と、人々の愛情で手塩にかけられた食べ物がここにあることに
感謝しながら。

パッと見は華やかではないけれど、自然栽培の米や野菜、長期熟成の醤油や
手製の味噌、かまど炊きに近く炊き上げて曲げわっぱのお櫃に入れたごはん、
夏の太陽を浴びたふっくら梅干し。大きなお椀は夫が漆塗りで作ってくれた
もので。

私にとってはこれ以上ない最高の食卓です。

そんな食事をご用意して、お待ちしています。
みなさんとご一緒出来るのを楽しみにしています!(^^)!


こんなイメージ♪

2013年1月17日木曜日

「生き方」

先日のブログで日経ビジネスに掲載されたの稲盛和夫さんの
言葉を引用させていただきました。

稲盛さんは言わずと知れた方ですが、2004年に刊行された
「生き方」という本は、日本のみならず、中国でも大変人気が
あるそうです。




「人としての正しい生き方」を語った本。

日経ビジネスのインタビューには、賄賂や横領が蔓延る中国で
なぜこの本がウケルのか。それは、中国人―その中でも権力に
よって多くの金を得ている人たち自身―が、その生き方に疑問
を感じながら生きてるからではないか、と書かれていました。


::::::::::::::::::::::::::


中国上海に暮らした2年間は、二言三言では言い表せない多くの
経験をさせてもらった時間でした。でも、あえてまとめるとすれば
多くの葛藤に悩み苦しんだ時間であり、しかしそのことを心の底
からから感謝しています。

点心を学んだり、布市場やセーター屋さんで服のオーダーをしたり、
中国茶の深さを知ったり、と楽しいこともありました。ですから、当時を
知る友人には「何がそんなに辛かったの?」と聞かれることも少なく
ありません。

「何がそんなに辛かったのか?」

何年もたって、それがようやく分かってきました。
それは「人として正しく生きるってなんだんだ!!」という、問題提起を
あらゆる場面で突きつけられていた時間だったからだと思います。

嘘をつく。
人をだます。
自分を守るためや、お金を少しでも多く得るために。

大声で人を罵る。
人前でも構わず人に手をあげる。物を投げつける。
感情を露わに、自分の主張をするために。

偽物を平気で売る。
ばれないように細心の注意を払い、
取り締まりがあれば、我先にと隠れる、逃げる。

日々経験することの一つ一つがまるでボディーブローのように
私の心にパンチを食らわせて、やがて「自分が人として
壊れていっている気がする」と感じるようになりました。

平気で大声を上げ、怒り、目の前の人に笑顔を向けられなく
なった自分。こんな人間ではありたくない。この思いは
私だけでなく、夫も同じように抱いていました。
そして、出会ったのが「ヴィパッサナー瞑想」でした。

とはいっても、友人に軽く話を聞いて、何の気なしに申込んだ
のがはじまり。まさか私が求めていた「正しい生き方」の
道がこんなにパーフェクトに示された修行だとは、これっぽっちも
思っていませんでした。

悟りへの道―八正道―に、何の気なしに出会えてしまった
私たちの運の良さには、自分たちでもびっくりですが、その
道の先にあるゴールには”何の気なしに”たどり着けはしない、
ということを日々噛みしめています。


中国で過ごした時間のお蔭で、私は自分が人としてどう生きたい
のか?という問いかけをもらえたし、自分の生きる道に灯を
燈してくれる瞑想法への導きをもらった。

これはなによりの贈り物。本当に心の底から感謝してる。

今思えば、中国で私の受けたボディーブローは日本でも
日常茶飯事起きていること。たまたま私はそういう出来事を
中国の地で経験しただけのことだ。

だから、稲盛さんの本は日本でも大反響なのだろう。
日本人も、いや人間なら誰でも「正しく生きたい」って
心の底で思ってるのだから。

2013年1月15日火曜日

2013年、スタート

2013年がスタートしました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

千葉の古民家での生活、都心のマンションでの生活の
行き来で、まだまだ落ち着きの無い生活ですが、とても
充実しています。

充実しすぎてて、ブログに書く余裕も無いほどで、報告が
全く出来てませんが(汗)、少しづつ、日々のつぶやきを記事に
して行きたいと思います。


今年の目標をなにか定めよう、かと思うのですが、今自分が
大事にしていることの一つ一つを丁寧にこのまま続けて行くことが
やはり一番大切だと。

なので特別になにか「目標’というのはないのですが、敢えて言うならば、
日々の生活を大事に、ということでしょうか。

*************

新春号の「日経ビジネス’に日本航空名誉会長である稲盛和夫さんの
インタビューが掲載されていました。「中国とは『徳』で接せよ」
というタイトルが付けられています。

インタビューの中で孫文の神戸での公演の言葉を引用されていました。

「日本は明治維新を迎えて欧米の近代文明を取り入れ、繁栄を遂げようと
している。その欧米文明というのは覇権の文明、力の文明です。
しかし、東洋には、人間の徳で治めていくという王道の文明が
あります。欧米文明を取り入れて覇権の道を歩くのか、それとも
古来東洋に存在する王道の道を歩くのか。日本の将来は皆さんの
選択にかかっています。」

「徳」という言葉は、瞑想を始めて以来私にとって、とても大事な言葉です。
なので、このインタビューの内容にはとても興味をもちました。

旅行などでヨーロッパの王室や、その立派な建物や持ち物などを
みるにつけ、「覇権」「力」を示す文化、を感じます。そして、
それらをみて「すごいなあ」とか「素敵だなあ」と思うけれど、
私に取っては、日常の中の、人間がもっている徳にあふれた言葉
や行為に触れた時の心震える瞬間にはとうていかないません。

稲盛さんは日中関係について「人間性からほぐしていけば、時間は
かかるかもしれませんが、解決できるでしょう」と話されています。

一人一人の人間が徳を積む生活を心がけ、徳を持って人と接する時、
自ずと心は通い合う。これはこの世の摂理だと思います。

自分がそういう人間であることができるよう努力をすること。
それが平和で穏やかな世界を作る一番の貢献ではないかと思います。

”不徳の致すところ”ばかりの自分を省みながら、そんなことを
考えました。日々精進です。



kominka

kominka
kominka