「何か方針、とか、理念とか、そういう判断基準になるものが
存在して初めてそれに基づいて判断する、ということをするのだから、
何かの事実自体には色はついてないっていうか。色を付けるのは自分
だけ、っていうか。」って書きました。その判断基準が
”常識”
だったり、
”普通”
だったりするってことがあると思うんだけど、それってそもそも
なんだ?って思う。
私はもともと「常識」とか「ふつう」とか、そういうことをとても気にする
人でした。
そんな私の目からウロコをいっぱい落としてくれたのが私の旦那さん。
こういう風に書くと誤解をされそうだけど、彼には「常識」とか「ふつう」
という枠がとても少ない(笑)。
常識的なことに重きを置く私と、常識に囚われない彼の、それぞれの
良さが調和してハーモニーを生み出すようになったのは、それがお互いの
良さだと自分自身で受け入れられるようになってからでした。
昨日、いつも私が自然農法のお野菜の宅配をお願いしている
ナチュラルハーモニーからとても面白いメルマガが来ました。
その中の一部の文章をコピペさせていただきます。
「感じることの前に、概念を埋め込む。
ザッとではありますが、概念教育の成果を書き並べてみましょう。
・ 美味しいと感じる前に栄養素が高い・低い、良い・悪いといったもので判断すること。
・ 子供の歯が生えてきたのを離乳の時期と思わずに、“何ヶ月から離乳”と決めつけること。
・ 作品を一度も実際に読むことなく、作者と年代ばかりをただひたすら暗記すること。
・ 病気の症状も体からの自然な反応、そう考える前に無条件に“悪いもの”だと
決めつけること。
・ フレンチ・中華・和食とタテ割りにされた枠組みの中に終始し、素材がどう
料理されたいか?などとは考えないこと。
私たちはたくさんの思い込みや概念で埋めつくされていると言えそうです。
その肥大化により、本来備わった五感、感覚器官と脳とをダイレクトにつなぐ
ことが疎かになっている。それでは決まり切った尺度でモノゴトを判断する結
果を生みやすいのです。」(引用終わり)
私たちは頭でっかちな夫婦でした。(今もそうかな-笑)
2人とも末っ子だったから言ってみれば”調子が良い”って感じ。
最小限の労力で、最大の効果を得る、みたいな。
「小手先」ともいう(笑)。
だからこそ、本や人の言ったことをに基づく「知識」じゃなくて
、自分の感覚器官を通じて培った「知恵」の大切さを今、改めて
感じています。
自分の身体に染みついた「借り物の概念」をどんどん削ぎ落として、
概念にとらわれない、臨機応変な柔らかい人になりたいな。
あっ、また「柔らかな人」っていうのが「良い」っていう判断を
してるね・・・
全てはバランス。
1人ではバランスが取れず傾いているように見えても、
全体では不思議なほど調和がとれてたりする。
ひとりで生きてるんじゃないね、ってつくづく思う。
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