2010年11月30日火曜日

ファッションについて ”パーソナルコンサルティング”

ここ10年ぐらい、デパートと言えば足を運ぶのは
地下の食品売場ぐらいなもので、ファッションへの関心度は
「女の子としてどうなの!」というレベルでした。

確かに、私の関心は”内面”へと向かっていて、あまり
外見をどうこうしようという気持ちがなかったのです。


しかし、今年の夏に「これではいけない・・・」と自覚して
始まったダイエットプロジェクトを機に、自分の”そとみ”
に向けて関心が高まりました。



時を同じくして、夫が”パーソナルコンサルティング”を
勧めてくれました。

しばらくファッションへの関心が途絶えていると、何から
手をつけたらいいか分からなくなっているのが正直な
ところです。

また、あと1年で40代になるということもあり、これまでの
服装とは違ったことを意識する方が良いのかもしれないという
気持ちもあり、是非専門家の方の力を借りようと決意しました。



パーソナルコンサルティングでは、顔の形、体型、顔色など
から似合う色味や似合う形、逆にNGな服や色を教えてくれ
ます。


また、パーソナリティーから見てどんな服を求めているか、
逆にどんな服は全く興味がないか、などを診断してくれ、
「スポーティー」や「トラッド」「クリエイティブ」などの
キーワードで代表される洋服のスタイルと関連付けて
くれるので、自分らしさを表現するスタイルに迷いが
無くなり、とても参考になりました。



ちなみに私に似合う色は”ウィンターカラー”と言われる
すごくはっきりとした色。





例えば白は、オフホワイトなどではなく真っ白な白。
黒もぼやけた感じではなく真っ黒。
パステルやアースカラーを顔の周りに持ってくるのはNG。

また、顔の形は丸~卵型で顎がちゃんととがっているので、
顎を見せる髪型のほうが顔がすっきり見える。

体型は砂時計型だが、少し腰の張りが目立つ洋ナシ型でもある。
なので、ストレートのロングスカートとかはNG。

そして一番笑ったのが、パーソナリティー診断。
私がファッションに求めるもの

1.スポーティー 5点
2・トラッド   6点
3.エレガント  6点
4.フェミニン  6点

ここまでは、なるほど、その通り、と納得。
そして、ここから先がさらに納得。

5.アローアー  0点
6.クリエイティブ 0点
7.ドラマチック  0点

ここまではっきり「0」っていうのも珍しい・・・
と言われました。

アローアーとは簡単に言うと男性の注目を集めるような
良い意味でセクシーな洋服のことのよう。

クリエイティブは文字通り個性的で創造性溢れる感じ。

ドラマチック、はスターとしての注目を集めるような
服装だそうです。


私は全くそういう要素を求めていないのだということが
わかりました。


一方夫はクリエイティブ、ドラマチックに、そこそこ
点数が入っています。だから、彼の勧めるこういった要素を
持った服を一切完全に拒否してきた理由はこれだったんだ、
と、ものすごく納得がいきました。

私も納得だったけど、今までことごとく完全拒否されてきた
夫の方がもっと深く納得していました。これでお買い物の時に
お互いに嫌な思いをしなくてすみます(^-^)


コンサルティングのあとは、数日後に私に合う洋服を
選べそうなお店をリストアップしてくれたり、ワード
ローブとして揃えたいアイテムをリストアップしてくれた
レポートを送ってくださいました。


本当にコンサルティング受けて良かったです。
これをやらなかったらどこから手をつけてよいやら
全く途方に暮れていました。


似合うカラーなどは結構目から鱗な感じで、今後は
迷わず選択することが出来るようになれそうです。


みなさんも機会があれば是非受けてみられたら
いかがでしょうか?ホントおススメです。
もしご興味あったらご紹介しますよ~(^^♪

2010年11月29日月曜日

家庭は励ましあいの場

10年ぐらい前に初めて読んだ本に「家庭は励ましあいの場」
という言葉がありました。

本の整理をしていて久しぶりに読み、良い言葉だなあ、と
思いました。

女は男のどこを見ているか

女は男のどこを見ているか

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私達夫婦はお陰さまで仲良く穏やかな関係を築けています。
なので、友人と食事をしたりすると相談を受けることが
あります。

専業主婦の友人に言われたのはこんなことでした。
旦那様は大変お忙しく働いていらっしゃる方です。

「家にいる時、彼は何もしない。自分のことも自分で
しないのは甘えすぎではないか?彼がダメな人間に
なりそうで、もっとしっかりしてもらうためにも
甘やかさないようにした方が良いような気がする。」

このような内容は彼女だけでなく他の人からも何度も
聞いています。


私は毎回必ず、我が家ではどうしているか?を話します。

例えば旅行や出張の時。
夫は朝起きて準備された鞄を持ち、出かける。
彼がやることはほぼそれだけです。

空港から「チケットとパスポートどこに入ってるんだっけ?」
って電話があったことすらあります。

準備は全て私がやります。
たいていの友人がびっくりして「そんなに何もやらないと
何も出来ない人になっちゃうんじゃないの?」と言います。

心配してくれるのも無理はないと思います。
でも、本当に忙しく働いている時、身の回りのことに
まわす時間がない時というのが本当にあるんですね。

私は幸いにしてそんな秘書役をやるのが好きです。
だから、全く苦ではないんです。

それに、一端の大人の男である夫が「何にも出来ない人になる」
なんて心配はしていません。必要とあればちゃんと自分で
頭を働かせて考えるはず。

「『甘やかしたらダメな人間になるのでは』なんて思うのは、
よっぽど自分の夫のことを信頼していない証拠じゃないの?」
と友人に告げると、大抵「その通りかも・・・」という答えが
返ってきます。

人は信頼されたら嬉しくなって「もっとしっかりしよう!」って
思う性質があると思います。特に男性は自分を信頼してくれる
女性のためには力を発揮したい、と思うようです。
(↑の本にも、私のおススメ「サレンダードワイフ」にも
書かれています)

それでなくとも厳しい社会の中で立派に働いて、生活を
支えてくれているのはまぎれもなく目の前にいる夫。
外で働いてそれでなくともストレスかかっているのに、
家でも「甘やかすのはいかがなものか?」なんて言われたら
どこでホッと一息つけば良いのでしょうか?


大体この辺まで話が進むと次はこういう展開になりがちです。

「そんなこと言っても、彼の言うことばかり聞いて、
従うのは何だか癪に障る。こっちばかり我慢している
みたいで・・・。話も聞いてくれないし、聞く耳も
持とうとしない。」

すごく辛い状況でしょう。


瞑想をはじめて実感したことがたくさんありますが、
その中の一つに「因果応報」があります。原因があるから
必ず結果を生む、ということです。

聖書の中にも有名な一節があります。
「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。
人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、
あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。
あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらう
からです。」
(ルカの福音書6章38節)


「話を聞いてくれない」という前に、自分自身は旦那さんの
話をきちんと聞いているでしょうか?
「自分はこう思う」とか、「そんなの世の中では・・・」とか、
そういう余計な言葉を挟んで話を遮ってないでしょうか?

「何もやってくれない」という前に、自分自身は思いを尽くして
旦那さんのお手伝いをしているでしょうか?疲れて帰宅した
人が寛げる空間を作れているでしょうか?ホッとできる食事
を用意出来ているでしょうか?


私は自信をを持って「出来ている」とは言えません。
精いっぱいやっている、とも言えません。
それでも、夫は喜んでくれます。なので、私も
無理のない範囲で自分の出来ることを頑張ろう、と
思えます。


こんな感じで話が終わると大抵のお友達はこう言います。


「今日は帰ったら夕飯を心をこめて作ろう」とか
「特大のごみ袋買って帰って要らないものを捨てるわ!」
とか。


良い感じ~♪(^-^)


「家庭は励ましあいの場」。
夫婦も、親子も励ましあっていけたら、家庭が
一番ホッとできる場になるんだと思います。

私の好きな「うどんの話
「天国と地獄」林敏之さんのブログから
こんな素敵な想いやり溢れる人間関係が増えたら
幸せ倍増計画、の社会になるかな~なんて思います。


✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾

夫婦での会話や、快適な空間づくりのためにとても
参考になるブログをご紹介したいと思います。

私の友人のブログです。
是非読んでみてくださいね!

夫婦の会話について
整理収納・インテリアの本イロイロ

2010年11月26日金曜日

まがいもの

まがいもの、とは本物とは違うけれど、本物に良く似せて
作ってある物のことを言うそうです。

私も夫もこの「まがいもの」には厳しい目を向けがちです。

「まがいものを持つぐらいなら何もない方がよっぽど良い」
と思ってしまうので、上海での生活が辛かった理由の
ひとつはこれもあるかと思います。

有名だとか、ブランドだとか、そういうことではなく、
心のこもった、想いのつまった、愛情に溢れたもの。
創意工夫されたものや、さすがプロという物は大好き♪

そういうものを見ていると、そして手にすると
本当に幸せに思います。


私達夫婦は"食"にこだわりが強い方だと思います。
食、というより素材がまがいものではないか、という点が
とても気になります。


大量生産、大量消費の現代。
本物をまねたまがいものがたくさん出回っています。


例えばお醤油や味噌、それに納豆なども日本が誇る
発酵食品です。

クッキングークルでは皆さんと一緒にお味噌作り
をしますので、メンバーの皆さんはお味噌が出来上がる
までには一定の「時間」が必要だ、ということを
知っていらっしゃると思います。

「時間」が育んでくれる美味しさ。
目に見えない微生物や「時」の力を借りて、美味しい
お味噌が出来ます。はじめてお味噌を作った方はみなさん
すごいなあ、って感動します。

そんなお味噌が、人工的に処理することで時を経ずに
出来てしまう。これがスーパーマーケットに並ぶお味噌
達が辿って来た現実です。

お醤油も、お酒も、時間と手間をかけないまがいものが
たくさんあります。とても残念です。


手間と時間をかけた物は安くはありません。私が愛用
している丸中醤油は、900mlで1,260円します。スーパーで
買える醤油の4倍はするでしょう。





経済的に「そんな高い醤油を買うのは無理」と思う
方も少なくないかと思います。

大事なのは、自分が選択しているものがどういう品物なのか、
ということをきちんと理解しているかどうか、だと思うのです。

私も、中華料理用の煮豚のたれを作る時はさすがに
丸中醤油は使いません。1.8L入りのものを購入します。
(それでも、いくつかの中から納得したものを買ってます)

でも、普段のお料理をするときには丸中醤油を使います。
このお醤油を加えた後で味見をする瞬間、いつも感動
します。あ~、美味しい、幸せ、って思います。


自分が、家族が、そして自分にとって大事な人たちが口にする
食べ物を作る時、「安いから」とか「まあまあこんな味なら」
とか「手軽だから」という理由で品物を選択することについて
どう思いますか?


以前友人とお話していた時、びっくりしたことがありました。
「一人暮らしで、自分の作ったものは自分で食べる、だから、
美味しくても美味しくなくても別に・・・『まずっ』って思って
食べることもある」


自分で料理をすることの楽しみは、自分の好きな味に自由に作る
ことが出来るということです。また、家族に作る時は、家族の
ことを思いながら、今日はこんな味の方が喜んでくれるかな?
疲れて帰ってくるから、ちょっと塩を多めにしようかな?とか
考えて調理することが出来ます。

「美味しい!」って思える料理をたべると幸せになります。
これは、誰もが感じる間違いない幸せです。

彼女の話を聞いて"もっと自分を大事にしてほしい!"と心から
思いました。”自分なんて、こんなもん、こんな食事がふさわしい
人間なんだ”、って言っているようなものだと感じたからです。


大学生のころ、夫に言われた言葉があります。

「自分を幸せに出来る人じゃなきゃ、他の人と一緒にいて幸せに
なんかなれるはずがない」

私はとかく、周りの人がどう思うかとか、周りの人に
嫌なことをしないように、とか発想をする人でした。
そんな私にとってはこの言葉は衝撃でした。

「その通りだ」と思いました。


自分が食べるもの、自分の傍に置くもの、自分が使うのも、
は100%自分が納得したものが良いな、と思います。

いつも完璧なものでなくてはいけない、ということでは
ありません。「今回はこういう目的で使うから、このぐらいの
品質でこの値段だったら納得」という風に自分なりにその選択が
満足である、ということが大事だと思います。

それは自分が常に「幸せ♪ 満足♪♪」という満ち足りた気持ち
で居られるための大事なポイントです。 

そしてその選択は「自分の」感覚でなくてはなりません。
あの人が持ってるから、あのブランドだから、流行っているから・・・
きっかけがそうだとしても自分の感覚にしっくりくるなら問題
ないでしょう。

でも、自分が心地よい、と思える感覚さえ分からなくなって、
周りの価値観に踊らされるなら、それは自分が感覚として納得
しているわけではないのです。



私たち夫婦がまがいもの、に厳しいのは、それが自分の
一部になった時に、自分の”幸せ感”に非常に大きく影響する
からです。

自分が幸せでないとき人はどういう行動をするか?

それは、簡単です。

幸せではない自分と同じような思いを人に味わわせたい、と
思ったり、人をねたんだり、傷つけるようなことを言ったり、
攻撃したりします。

だから、いつでも自分が自分を幸せにする努力を惜しまないことは
自分のためだけでなく、周りの人のため、大きく言ってしまえば
平和のためにとってもとっても大事なことだと思います。


こんな風に思いながら生活出来ること、本当にありがたい、
感謝です。


自分がおいしいな、と思う食材が買えること。
自分が素敵だな、と思う器で食事が出来ること。
自分が快適だな、と思うおうちで過ごせること。


「充実した毎日を過ごす秘訣は日常の中に小さな幸せを
たくさん見つけること」ってどなたかがおっしゃってました。

まさに私も同じように感じます。

ありふれた普段の生活のなかに、あっちもこっちも
心地さを感じらる。そういう1日1日の積み重ねって良いですよね。

綺麗に片付いたおうちが気持ち良いのもそのせいだろうな。

片付け、掃除が苦手な私はそこんとこ頑張らなくては(^^♪


✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾


今日は友人と一緒に夕食。
旦那さまのいるNYに旅立つ前に一緒にお寿司を愉しみます。

2010年11月25日木曜日

私流 40代を迎える準備 その4 運動

この夏の肉体改造計画。
6月ごろに一気に体重が増えたことに端を発します。

その頃、今までになく油っぽいものが食べたくなったりして、
なんだかおかしいなあ、と思ってたんですが、それに
比例してあっという間に体重が増えました。

私は周りの人がちょっとびっくりするほど外では良く食べる
方です。でも、家では普通。朝も断食が普通なので、
体重はここ10年ぐらい全く変動なしでした。

しかし、一気に体重が増え、身体が2周りぐらい
大きくなり、危機感を感じました。

そして、20代と40代では基礎代謝が2割ほども違う、という
ことを知りました。


なるほど、だから若い時と同じように食べてると
自然と少しづつふくらんでいくんだな・・・と気がつきました。


基礎代謝を落とさないためには一番良いのが筋肉をつけること
だと思います。もちろん内臓をはじめとする身体全体が
きちんと働いていることも大事だと思います。

今年私は真面目にゴルフに取り組むようになりました。

ゴルフの良いところは「歩く」こと。最近は電動カート
を導入しているゴルフ場が多いのでその点は大変残念です。

ロンドンでゴルフをしていた時は、手で引くマイカートを
持って、歩いてラウンドしていました。


「歩く」ということは足腰の筋肉をまんべんなく使います。
日ごろから筋肉を鍛えて基礎代謝を落とさないようにすることが
健康にとても大事で、ダイエットの味方にもなります。


街にでるとウォーキングをしている方をみかけます。
お歳を召した方も、カッコいいシューズを履いて颯爽と
歩いていらっしゃいます。

自分の身体を自分で手入れすること。
日常の中でそういう習慣を作ることは、日々積み重なると
大きな差を生むのだと思います。


私にとってゴルフは今後もずっと続けていきたい運動。
そして歩くことも習慣にしたいです。
それから、自力整体も私にとっては大事なメンテナンス法。
ここ10年ぐらい、やったり、やらなかったり・・・と波は
あるものの、続けています。


DVDで覚える自力整体

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価格:1,890円(税込、送料別)




出来る限り自分の身体のお手入れは自分でいろいろ考えて
やっていけたらいいな♪と思います。


✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾

本日の夕餉
・タコとゴボウのピリ辛炒め
・ゴボウのきんぴら
・生昆布のサッと煮
・ほうれんそうの胡麻和え
・大豆と昆布の煮もの
・蕪の皮と葉の塩もみ-柚子風味
・大根の黒酢炒め
・黒豆玄米ご飯
・水菜と大根葉のお味噌汁(麦みそ)



一番手前の朱塗りの器は旦那さま手作り♪
こういう器で食事を頂くと幸せ感倍増です!

2010年11月24日水曜日

お節料理づくり

今年も早いものでもう11月の末。
お節料理のことを考える季節となりました。

年末押し迫ってとなりますが、12月30日に
一緒にお節料理を作りたい人いましたら、
ご一緒に作りませんか?



私は毎年自分でお節を作っています。
自分で作るお節料理が大好きです。

お出汁やお酢の匂いがキッチンに漂い、
もうすぐお正月!というワクワクした感じになります。

今の世の中、元旦でもお店が開いているので、普段と
変わらない生活をしようと思えば出来るのですが、
3が日は、毎食お節とお雑煮があれば楽チンで美味しい
お料理が準備出来ますよね。

去年は、主人が仕上げてくれた朱漆塗りの大きな器で
お雑煮を食べ、写真奥のようなお節料理をつまんで
お正月を迎えました。





今年も恒例の以下のようなお節料理作ります。
自分で作ったお節でお正月迎えたいなあ~という方
いらっしゃいましたらご連絡くださいね。


昨年大好評だった”焼きアナゴの生昆布巻き”
べったりした甘さでなく、あっさりです。


田作りはしっかり甘辛


手綱こんにゃくは定番ですね!


栗きんとんは黒糖で作ったのでちょっと色が今一つです・・・


菊花蕪は小さな蕪で作ると可愛いです♪


数の子は無漂白の物を築地で仕入れます


黒豆も煮汁が飲めるほど甘さ控えめ


紅白なますはお節じゃなくても常備菜におすすめ



あ~、おなか減ってきた。
早く来い来いお正月♪

2010年11月19日金曜日

私流 40代を迎える準備 その4 低血糖症

私の家は料理屋だったこともあり、私は普通の家の「食卓」
というものに疎いところがあります。家族で食卓を囲み、
母の作ったものを食べる、という当たり前の経験をしていない
のです。

みんなにとっての”非日常”の食事が私の”日常”の食事
だったのだ、という事に気がついたのは、大人になってから
でした。


私が生まれた頃は割烹を営んでた実家のお店の経営も安定して
良い時代で、私の食事は、開店前にちょっと揚げてもらった
海老の天ぷらののったミニどんぶり(青のりをまぶすのが
私のお気に入りでした)や、まぐろの中落ちをたっぷり
載せた中落ち丼、また、鰹の中骨を煮て血合の部分をほじって
食べる「あら」料理などなど。

時には、面取りをしたくわいをさっと揚げたくわいののチップスが
おやつだったり、宴会の終わった後戻って来た鍋の残りでの雑炊を
夜食にしたり。

土曜日は学校から帰ってくると昼の営業時間。土曜日の昼は
照り焼き重がお店の定番でしたので、私もそれを食べて・・。

お味噌汁もだしの効いた赤出汁が大好きでした。


お母さんの作ったお味噌汁、白いご飯、浅漬けとか漬物、
お野菜の煮ものとか、お浸しとか・・・そういうものとは縁がなく
育ちました。

その上、私は全く野菜を食べない人でした。魚介類と白米で
育ったようなもんです。その生活は大学生の頃まで続きました。

夫にいろいろな食べ物を教えてもらったり、自分で料理をする
ようになってどんどん食の世界が広がり、今では何でも食べますが、
あの頃の食生活を振り返って、やっと今になって原因を突き止める
ことが出来たことがあります。

それは「低血糖症」でした。


私は7歳の頃、毎月1度左の脇腹の激痛に見舞われました。それは約
1年続きました。夜中にすさまじい吐き気と左わき腹の激痛。
両親は病院に連れて行ってくれましたが、結局原因は分からず。
腹痛の薬をもらって飲んでも治まりません。

あげく、慢性盲腸です、とか適当なことを言われ。。。

朝方まで苦しんで、近所のかかりつけのお医者さんが開くのを
待って、そこでブドウ糖の注射をしてもらうとやっと治まるのです。

そんなことを1年繰り返しました。

そのあと、こんな激痛は起こらなくなりましたが、私の中には
ずーっとこの記憶が残っていて、あれはなんだったんだろうと
疑問は解けずにいました。


ロンドンにいた時に食事を変えた時も、今回、体重を落とそうと
した時も、同じことが起こりました。間食や甘いものを欲する
ようになるのです。甘いもの、と言っても私はケーキとか和菓子とか
はもともとあまり食べないので、そういうものではなく、果物
なんです。

果物自体や、果物のストレートジュース。

うーん、これは血糖値を保つために、保つというか急激に
あげたいために果糖を欲しがってるんだなあ、と思いました。
それも、今回2度目のことだったので「これは明らかに低血糖症
だな」と現実を受け入れるしかないと腹をくくりました。


腹をくくる、とまでいうのは大げさに聞こえるかもしれませんが、
低血糖症はいずれ糖尿病になる確率がとても高いのです。というか、
膵臓が疲弊している状態、ということから言えば糖尿病のような
ものです。

今まで「そうだろうなあ、私は低血糖気味だろうなあ」という認識
だったんですが、今、これを治しておかないと糖尿病になるのは
時間の問題だと考えを改めました。

それでなくとも、私の家族は糖尿病の人がたくさんいるんです。
父も、母も糖尿病でした。母のがんも砂糖と油が影響している
ことは明らかでした。

40歳以降は、その人の食生活や生まれ持った性質がどんどん表出
するようになると聞きます。私の低血糖症もそれが糖尿病として
発現するまでに何とかしないと、と本気で思いました。


そこで、青山のナチュラルハウスで買ったのが、何度か紹介している
「本当に怖い、低血糖症」の本です。






この本を読んで、今までずーっと抱えていた疑問が解けました。

7歳の頃に激痛に見舞われていたのは膵炎の痛みだったということ。
その後、私の身体がどんなにストレッチなどをやっても柔らかく
ならなかったのは膵臓の腫れと硬化が関係しているということ。

本によると、膵臓を固くするのは、
1.鶏肉、鶏のストック、
2.卵、
3.魚卵
4.チーズ
5.海老、カニ、
6.パンやマフィンなどの焼いた粉製品などの常食、そして
7.チップス類、
だそうです。

このリストを見て、なるほど、と思いました。

子供の頃私は焼き鳥や、鶏腿の照り焼きが大好きでした。
いくらとか、たらことかも大好きだったし、お寿司やてんぷら
大好きでしたから、海老は欠かせない人でした。

甘いものが好きだった母と一緒に、チョコレート入りの
クロワッサンとか、クリーム入りのパンとか良く食べてたし、
我が家は箱単位でポテトチップス買ってました。子供用の
ビスケットも大好きだった。

はぁ~・・・・・

あまりにも「非日常」の食事が「日常」だった私が、膵炎
になってもなんの不思議もないですよね。7歳の子供が
膵炎になるなんてお医者さんも想像しなかったでしょう。
(それに、膵炎は検査をしても分からないというぐらい、
相当診断しずらいものだそうです)


ため息はついたものの、30年来抱いてきた疑問が解けた時の
喜びは相当でした。

だって、後は改めればいいんですから(^-^)

本に従って、毎日野菜ストックを飲み、玄米ご飯を
たくさん食べ、↑のリストにある食品を出来る限り摂らないようにし、
甘いものをひかえる。

その生活はじめて1カ月になりました。

抑えきれない衝動を感じて食べたり飲んだりしてしまうことは
ありますが、それでも出来る限り頑張っています。


結果はすぐにあらわれました。
はじめてから1週間ぐらいで、身体がどんどん柔らかくなって
きました。今までいくら頑張っても前屈で床に手をつくのが
きつかったのに、それが自然に出来るようになりました。


東城百合子さんの「自然慮法」の本の中に「脾臓の手入れ」
として、こんにゃくで冷やして腫れをとる方法が載っています。
肝臓、腎臓を温めると同時に脾臓の経絡を冷やす。

今まで定期的にこんにゃく湿布はやっていますが、
肝臓、腎臓を温めるだけの時より、脾臓の経絡を冷やす
湿布をちゃんとした時の方が相当体調がいいということは
ここ数年感じてはいました。

やっぱり、今までちょこちょこと感じていたことは間違い
ではなかったんだなあ、って思いました。


うすうす感じてはいても、本気でそれを受け入れようとは
していなかった。その本気じゃない私に、スイッチを入れて
くれたのは、この夏の肉体改造プロジェクト(笑)への
取り組みでした。

本気でそれに取り組む過程で、今まで見て見ぬふりをしていた
低血糖症に正面から取り組むことが出来、本当に良かったです。


「お米」という主食よりもおかずが重視されたり、そのお米
もほぼ糖分しか残っていない”白米”だったりする中で、
多くの人が実はこの「低血糖症」になっています。

この事実を見過ごしてはならないと思います。

10代、20代の頃は、まだ若さで乗り切れる。
でも、歳を重ねて、今後の人生をよりよく生きるには智恵が
必要になってきます。

亀の甲より年の功。

それを実感する今日この頃です。


いずれこういう智恵を多くの人に伝えられるようになりたい
なあ、って漠然と思っています。


✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾

今日はねぎニンニク味噌と、なめたけを作りました。
ねぎ味噌はいつも、おねぎがたくさん宅配野菜に入って来た
ときにつくります。レシピはこちらです。





なめたけは初めて作りました。青菜にかけて食べると美味しいかな?
と思って。大成功でした。お酢が入るので長持ちするし、肉食で
崩れたバランスを整えてくれるようです。


~今日の夕餉~
・浸し豆(秋田の青豆)
・厚揚げのあぶり、ねぎ味噌のせ
・昨日の豚汁温め直し
・黒白滝のピリ辛煮
・根つき春菊を茹でて、なめたけ載せ
・昆布と実山椒のさっと煮
・玄米ご飯+ゴマ塩




塩蔵の生昆布を塩抜きして、実山椒とサッと煮たもの。
これも冷蔵庫で1週間ぐらいもつので作り置きがきいて便利です。
レシピはこちら

2010年11月18日木曜日

私流 40代を迎える準備 その3 食事の時間

私は基本的に朝ごはんを食べない生活を10年ほど
続けていました。 基本的に、というのは、冬になると
朝食べないとお昼ご飯までに寒くなっちゃうので
冬には朝食べたくなることが多かったからです。

今回、身体を絞る試みをすることになり、また、
低血糖をどうにかしようと本気で思ったので、朝ごはんを
食べることにしました。


なぜダイエットなのにわざわざ食べる回数を増やしたか?

それは、食べないダイエットでは基礎代謝が落ちるからです。
食べないことを続けてれば、身体はエネルギーをセーブ
して飢餓に対抗しようとするから、自ずと基礎代謝は
減ります。

体重も減りますが、そこで元の食事に戻せば、当たり前に
リバウンドします。


それから、低血糖を防ぐには、血糖値が急激に上がったり
下がったりするのを防がなくてはなりません。なので、ゆっくり
血糖値を上げるものを定期的にきちんと摂る。

ということで、朝ごはんを食べることにしました。

といっても、午前中は身体は排出モードの時間。
なので、旅館の朝ごはんのような食事は身体には拷問です。
排出に使われるための力を消化に使わなくてはならなく
なってしまいます。

だから「朝ごはん」といっても、前日の残りの玄米ご飯を
お湯でしばらく煮たおかゆや、前夜のお味噌汁でおじやにした
ものをほんの少し食べるという感じです。


それと同時に始めたのが、夕御飯を6時ごろに食べる、という
ことです。遅くとも7時までには食事を終えて、空腹で寝る。
空腹で寝るのは、一日の疲れを身体が修復してくれるために
非常に大切なことです。

胃の中に食べ物が残った状態で寝ると、寝ている間も
身体は食べ物を消化する作業を続けなくてはならず、
その作業が終わらないと、身体の修復作業は行われない
からです。

それに、変な夢を見たりして熟睡を妨げられます。

夕飯も軽め、そして時間も早め。そうすると身体が軽くて、
とても良い感じです。


今までは、夫が帰宅するのを待って食事をすることも多々
ありました。待ってなくても良いよ、と言われているのですが
それでも待ってることも多かった。

でも今回時間を早めてみたらやはり身体に良い気がします。

それに、「待ってなくて良い」から私もストレスフリー、
「待たせてるかも・・・」という気持ちを抱かなくて良くて
夫もストレスフリー。

良かったです♪

待たなくても良くなった原因の1つに、玄米にしたから、
というのがあります。実はこれが一番大きいかも。

今までは、帰ってきそうな時間を見計らってご飯を炊いたり、
おかずを作ったりしていました。

でも、玄米だと炊きたてを食べる必要がない。かえって、
おひつにとった冷めた玄米の方がおいしいぐらいです。

だから、帰宅時間に合わせてご飯を炊かなくて良い。

おかずも、玄米の場合、きんぴらとか、漬けものとか、
煮ものとか、なので、出来たてである必要がない。極端な
ことを言えば、玄米にはゴマ塩さえあれば十分なんです。

具沢山のお味噌汁だけ温かいものがあればそれで満足。

なので、これも問題なし。

・・・ということで、今夜も我が家の贅沢な粗食は
続きます。


外で働く人にとって夕飯を早い時間に食べるのはとても
難しいことですよね。休みの日だけでも食事を早い時間に
とってみて、身体の感じを確かめてみるのは良いことかと
思います。

食事のあとの時間が長くて、とても得した気分になります。

昼をたくさん食べた時は、夕飯はほとんど食べないことも
あります。それも時には良いですよ。


自分が必要としている食事の量をきちんと知って、
それに見合った食事を良いタイミングでとることが
快適な身体にとって必要なんだろうなあ、と改めて
思います。


~本日の夕餉~

・豚汁(大根、にんじん、長ネギ、玉ねぎ、ジャガイモ、
    豚肉少々)
・アナゴの昆布巻き
・鰆の味噌漬け
・わかめの芥子醤油
・黒白滝のピリ辛煮
・玄米ご飯
・のり、ゴマ塩、うめぼし・・・

2010年11月17日水曜日

ゴルフ、楽しいです♪

私たちがゴルフにはまっていることは、親しい友人たちには
ばれていますが、最近特に一生懸命練習しています。

うまくなりたい!と本気で思いだしてから、練習も真剣にやり、
ますます楽しくなってきました。うまくいかないことが悔しかったり、
落ち込んだり、どうしたらいいんだと悩んだり…そういうことを
ひっくるめて、楽しいんです。


ゴルフは止まった玉を打つスポーツです。どんな場所に打っても
自分の責任。だって、自分が好きなタイミングで、自分が選んだ
道具で、自分が狙った方向に打ってるんですから。

そこがまた楽しいんです。


私たちは近所にあるスクールでコーチに指導をお願いしています。

トリニティーゴルフアカデミーHP:http://www.trinity-golf.com


ここが、普通のゴルフスクールとは違うんです。

身体の自然な動きを妨げずに最大限のパフォーマンスを引き出す、
という考え方に徹した、「身体の使い方を教えてくれる」ゴルフ
スクールなんです。

こういうの大好きな私たちにはまさに「ツボ」。
しかも、家から徒歩3分。


今までゴルフをやって来た人は、とりあえず3か月程度は
練習場もコースに行くのも禁止! とにかく今まで身に付けた
スイングの癖や、変な身体の使い方から脱するため、スウィング
禁止令を敷かれるのです。


その間、徹底的に股関節の動き、身体を回転させること、
腕で振らないようにすること、力みを除くこと、自然な
動きで最大限に遠心力を使えるようになること、などを
練習します。


何しろねじったり、力を入れたりすることがないから
ゴルフで心配な身体のゆがみとかを気にする必要がなくなるし、
このスウィングを身につけるには身体の柔軟性や、しなやかな
筋肉、左右均等なことなどが求められるので、普段から
そういう意識のもと生活するようになります。


以前もスクールに通ったことがありましたが、「もっと
手首をこうして、ああして」とか「バックスウィングの時の
角度はああだの、こうだの」と言われることばかりで、
自然な身体の動きからは遠ざかる一方。全然楽しくないし、違和感
あるし、うまくなりそうな感じがしなかったんです。


でも、今のコーチに指導していただくようになってから
より力みなく、自然に、身体を使ってゴルフをすることの
楽しさを実感することが出来るようになりました。


練習のも、コーチにいわれたことを出来るようになるように
繰り返し練習しながら、自分の身体は今どう動いているか、
という感覚に集中するようになり、「今こういう動きになっている
のはどこかに不自然な力みや、不均等な動きがあるかな?」と
自分で悩み、考え、試行錯誤を重ねるようになりました。


ゴルフのスウィングについて書かれた本は山のようにあって、
それぞれの人がいろいろなことを書いています。
頭を動かさない、だの、腕を絞る、だの、こんなにたくさん
ポイントがあったら一生クラブを振ることが出来ないんじゃないかと
思うぐらいです。

でも、不思議なのは、自分で悩んでやってみてうまく行った!という風に
気がついたことは、多くのプロが気をつけているポイントだったり、
スウィングの基本、と言われるような大事なポイントだったりすることです。


私が「師匠に恵まれない、自分でやならいと気が済まない人」(笑)、
だからかどうか分かりませんが、本に書かれたとおりにやることと、
自分が試行錯誤ののちにたどり着いて結果として本に書かれたとおりに
やることでは、全く意味が違うように思うのです。


本やテレビ、ネットでのインプットは良い刺激をくれます。
やる気を起こさせてくれたり、サジェスチョンをくれたり。
でも、やっぱり自分の身体を動かして、悩みながら、考え
ながらやったことだけが自分の知恵になる。

その楽しさを味わっています。


✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾

先週末、石川遼選手が三井住友VISA太平洋マスターズで優勝
しました。タイガーウッズのスウィングからインスピレーション
を得てスウィングを改造中だったにも関わらず、見事な優勝
でした。

石川選手がその1週間前出場していたHSBCオープンで、
スコアを伸ばせないでいた時、それでも彼はとてもポジティブ
でした。

アルバネットに掲載されている記事によると以下の通りです。
http://www.alba.co.jp/news/article_l/no=13799


”首位と6打差にもスイングへの手応えをつかんだ石川の表情は
明るい。「9番は今日イチでしたね。左に体重が乗って本当に
ラインが上手く出せた。タイガー・ウッズを見てスイングを変えた
んですが、うまく打てた時はタイガーになったような感じが
しました。新しい感覚でしたね」と新スイングのお手本ともなった
タイガー・ウッズに自分を重ね合わせるほどの手応えだ。

「自分で発見して自分で考えてスイングを変えるのは今までで
初めて」だっただけに、本当にこれでいいのかという逡巡は
あったが「この道に間違いはなかったです」と成果を示すこと
が出来たこの日のラウンドで世界へ続く道筋が見えた。”


私と、石川選手がやっていることは全く別次元のことではありますが、
この記事の中で「自分が発見して自分で考えてスイングを変えるのは
今までで初めて」と書かれていたのをよんで、「きっと嬉しくて
楽しくて仕方がないんだろうなあ~」って思いました。

自分自身で悩み、考え、試行錯誤し、発見した時の喜びは
何にも勝るほど大きいのです。

まだ19歳の石川遼選手。
これからも素晴らしいチャレンジを見せてくださることを
大いに期待したいです。


✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾

2010年11月16日火曜日

バランス

瞑想を初めて経験した5年前、インドでの瞑想コースを
終えてしばらくたったころ、コースでの気づきを振り返る中で、
「そうだなあ、なにもかもバランスなんだなあ」って思える
ようになりました。


それまで猪突猛進、という感じで進んできた今までの
自分を振り返って、恥ずかしいような、若かったな(笑)
っていうような、アンバランスさを認めることができ
ました。

そして、なにもかもが良し、悪し、ではないことも
同じように学びました。今も毎日の生活の中で、全ては
バランスなんだなあと思うことばかりです。


10年ほど前にロンドンでホリスティック栄養学のコース
で勉強していた時、"Acid and Alkaline"という本を
読みました。クシマクロビオティックで有名な
久司氏の書かれた本で、栄養学のコースで最初に
読むべき課題図書の1つでした。


英語で書かれたこの本は、今から思えば「陰陽」のことを
西洋人に分かりやすく「酸性、アルカリ性」という考え方を
使って解説した本だったのではないかと思います。読んでも
さっぱり分からなくて、その時知ったのは「久司さんという
人が提唱した”マクロビオティック”という食べ方がある」
ということと「それが日本食をベースにしてて、でもなんだか
変わった食事法である」ということでした。


(マクロビオティックについては、私はド素人ですが、
ちょっとかじった感じでは、久司氏の哲学がベースとなって
いるクシマクロビが現在浸透しているものの主流のようですね。
精神性を高めるために食を整える、という感じ。
病気とまではいかないけれど、食を整えることでより良い身体、
そしてそれが導く感覚鋭い磨かれた精神を作るような印象です。

一方、久司氏の師匠であるマクロビの創始者桜沢氏は、病気を癒すため、
そして健康を手に入れるためのもので、最終的には健全な身体、精神で
感謝に満ちた素晴らしい人生を送る、という印象です。Non Credoを
掲げ、何事も自分の経験を通した知恵をもって判断すること、盲信を
しないこと、と言われています。

前者が制限や規則を求める感じが「孔子」って感じで、
後者は最初厳しくゆくゆくは自由な境地に・・という感じが「老子」
、っていう感じかなあ。私の受けた印象は。)



私はマクロビオティックについて詳しくありませんし、あまり
知りたいという興味もわかずにいました。


しかし、先日ブログでも紹介した奥津典子さんの低血糖症の本を
読んで、10年前に「酸性、アルカリ性」の本に書かれていたことは
「陰陽のバランス」ということだったんだろうな、と思いました。

「本当に怖い 低血糖症」




そして、それが分かったと同時に、あの頃の私にはもし日本語で
陰陽のバランスについて懇切丁寧に解説してもらったとしても、決して
腑に落ちることはなかっただろうなあ、と思いました。

事実、それより前に勉強していた薬膳のテキストの中で既に
「陰陽」について勉強しているものの、コンセプトとしては理解
していても全く自分の中の理解がされていませんでした。

奥津さんの本を読んだとき、陰陽ということについて今までになく
”すーっ”と自分が理解出来ること、そして実感としてその影響や
力を感じることが出来ることにひどく驚き、同時に嬉しさを感じました。


やっとここまで来るのに10年以上もかかったか・・・という感じです。


私がやっとこの”バランス”というものを実感できるようになったのは
きっと瞑想のおかげだと思います。他にも、日々の生活の中で起きたこと、
経験してきたことが助けになって、こういうことを実感できるように
なったんだと思います。


そして、最近になって、バランスをとることの大切さと同時に、
バランスを崩さないことの大切さをより意識するようになってきました。

今までは、何かがおきてバランスが崩れればそれを修正する知識や知恵
を使ってアンバランスな状態から脱する、ということに興味があり、
それが面白いと感じていました。


でも、最近は「いかにバランスを崩さないか」ということに興味があります。
だから「日常」と「非日常」をすごく意識するし、日常の食生活を
より中庸な食事にすることの大切さをより実感しているのだと思います。


瞑想をして、自分の中に平常心や平静さを培う修行を続けるうちに
「揺れないことの大切さ」をより意識するようになった。
バランスを崩した時にそれを整える知恵の大切さももちろんですが、
今の私は似たようで違うこの「バランスを崩さないための知恵」に
惹かれているのだと思います。

もちろん、バランスを崩すものか!と力むのは良くないので、
流されちゃうことも多々ありますけど・・・それはそれで良い
として♪


私の大好きなバッチフラワーレメディは感情が揺れた時、揺れ続けている時
にバランスを整えてくれるものです。しかし、指導をしてくださる先生は
おっしゃいます、「最終的にはレメディなしで」と。


私も心からそう思います。


日々のさまざまな出来事を通して、自分が今学ぶべきこと、そして
それを学ぶために必要な助けと出会います。今回、自分の身体の手入れを
しようと始めた取り組みで、低血糖ということに目を向け、奥津さんの
書かれたマクロビオティックをベースにした本と出会いました。


マクロビオティックを知りたいと思ったことはなかったけど、この本を
通じてマクロビの一部を知ることが出来、その食事や考え方は、今まで
私が試行錯誤して得てきた自分の実感としての知恵と重なる部分が
たくさんありました。


インド占星術の人に私のチャートを見てもらったときにいわれたこと。
「あなたは師匠には恵まれません。なぜならあなたは言われたことを
その通りにやるよりも、何でも自分で試して、経験してその中で実感し
てみないと気が済まない人から。」

まさにその通りで、ぐーの音もでません・・・。

でもそれに続いてこうも言われました。「でも、いつでも楽しいんですよ。
苦しいことや辛いことがあっても、常にそこから学んでいるから常に
楽しいんです。」これもその通りなので、これからもいろいろな場面で
いろいろなことに気がつく楽しさ、ワクワクさを経験できるのでしょう。




心の赴くままに楽しさを味わって、そして揺れた心に気がついて
バランスをとるように対処する。

日々の難しい出来事に負荷を感じたら、揺れた心に気がついて
バランスをとるように対処する。

波の静まった時には、波が立たないように出来るだけ揺れない、
穏やかな時を心がける。


10年前には思いもよらなかったことを考えるようになっている
自分が面白くて、これから歳を重ねることにワクワクします(^-^)


~~~~~~~~~~

✿本日の夕餉

今日は1年ぶりぐらいにお取り寄せで焼きアナゴを買ってみました。
あなごの大谷、というところです。

なので、アナゴを使ったメニューがメインです♪

・アナゴの昆布巻き
・アナゴと蕪の煮もの、小松菜添え
・糸こんにゃくのピリ辛
・鰆の味噌漬け
(切り身1つは多いので、1枚を3等分して味噌とみりんに漬けたもの)
・肉じゃが 温め直し
・蕪の皮の梅酢和え
・玄米ご飯


2010年11月15日月曜日

私流 40代を迎える準備 その2 基礎代謝

今まで私は「体重を減らす」ということに興味を持ったことが
ありませんでした。

好きなだけ食べてもそんなに体重は増えないし、日常生活
のなかでまあまあ動いてもいるし、多分胃腸がそんなに丈夫
ではないこともあり、消化吸収もそんなに良くなかったの
でしょう。

なので、ダイエットという言葉とは無縁でした。

しかし今回下半身の重さを何とかしたいということで
はじめた取り組みの中で、初めて「体重を減らす」という
ことを意識しました。

水分なのか、脂肪なのか、分かりませんが、私の身体に
、特に下半身に必要以上についていると思われる”余分なもの”
を取り除くために。


水分の取り方については、いままでと量は変わらなくても
摂る時間を気をつけてあげることで、翌日のむくみは確実に
減ってきて、とても軽い感じになりました。

さて、全体の体重を落とすにはやはり食べ方、運動が
大きく関係しているでしょう。ということで、食べ方を
もう一度見直してみました。


何気なく手に取った本に、基礎代謝の表がありました。
それを見ると20代と40代では基礎代謝量が1割も違ってる。
ご飯1杯半ぐらいのカロリーの違いがあると知りました。

そうかあ、それじゃあ若いころと同じように食べてれば
自然にぷっくりしてくるよね~。


まず、今までの食事の量を少し抑えました。
すると体重は少しづつ減ります。もともと私は身体の
大きさのわりに良く食べる方だったので、少し抑える
ぐらいなら簡単に出来ます。

すると、体重は順調に減りますが、私はここで甘いものを
欲するようになってきました。もともとお菓子はあまり食べ
ないのですが、果物やストレート果汁のジュースを欲する
ようになりました。

これは、また別の機会に書こうと思いますが、
私がもともと低血糖の気があることが原因だったと思います。
以前ロンドンにいた時にも同じようなことが起きたことがあり、
食事をとらずに果物などばかりを欲したことがありました。

これについては低血糖への対策を考慮しつつ、身体が満足
できる内容を食事をいっそう意識するようにしました。
大食いしなくても満足感のある食事。
私たちの中でマイブームな”贅沢な素食”です。


久しぶりに基本の主食を玄米にしました。するとおかずがガラッと
かわります。今までのようなおかずは全く必要ない。ゴマ塩
があれば十分美味しい食事になるからです。玄米をよーく噛んで
食べると本当に美味しい。


きんぴらやお漬物、自家製の梅干しや、これまた自家製の味噌を
使ったお味噌汁などで十分。ちょっと夏に比べて元気がなくなって
来たけど、ぬか漬けもおいしいご飯の友です。

ちょっとお腹が空いたときに甘いものに手が伸びないように
玄米の小さなおにぎりも用意しておいて、おやつに食べたり。
(これは低血糖症の対策でもありますが、これも次第に
間食を欲しいと思わないようになりました)

基礎代謝を落とさないようにするには、まずきちんと食べる
ことが大事です。これが食べないでダイエットすることが
ダメだといわれる原因。食べないダイエットだと基礎代謝が
落ちてあっというまにリバウンドする原因となります。


そして、運動。私はゴルフをやっているので、練習場に
歩いて行くのもちょうど良い運動になります。代謝を
維持するのにも努力が必要なんだなあ、と理解しました。
お散歩されている壮齢の方たちの努力は素晴らしいですね。


自分の身体が必要としている量をきちんと感じて
食事をとること。歳を重ねることで変化していく自分の
身体の声にちゃんと耳を傾けていくことが大事なんですね。

初めて「体重を減らす」ということに意識的に取り組んで
みて気がついたことがいくつもありました。

とっても勉強になりました。


✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾


久しぶりに玄米を主食にし、良く噛む生活になったら
最初顎が筋肉痛になってしまい相当凹みました(>_<)

私弱ってるなあ、って思って。

そしたら1週間ぐらいで奥歯の金属が外れました。
かみ合わせに無理がかかっているところが自然に外れて
くれたみたいです。

以前友人に紹介してもらったちょっとマニアックな歯医者
「自然歯科」。外れた金属をもって歯医者さんに行き、
噛みあわせの調整をしてもらいました。

そしたら首の痛みがすーっとひき、噛むのが大変楽になりました。

良い先生を教えてくれた友人に感謝です(^-^)。


その歯医者さんでは「玄米なんて無理して食べなくていい、
無理がかかるような生き方をしなくていいんだから」って先生が
いつもおっしゃいます。なるほどそれはそうだよなあ、とも
思います。

私も、今までは胚芽米や五分づきとかのほうが自分にとって自然
でした。胃腸が弱った人とか、お歳の方とか、玄米は向かないと
思う人にはおススメしようとは思いません。


でも、今回また玄米ブームが来てしまいました。それも今までより
随分と身体に自然になじんでます。おいしい、と感じます。

しばらくは、このまま贅沢な素食を愉しもうと思います。


~昨晩の夕餉~
・昆布と大豆の煮豆
・キャベツ炒め、にんにく醤油を作ったにんにくを一緒に炒めて
・こんにゃくのピリ辛煮
・もずく
・鰯の梅干し煮
・蕪のぬか漬け、蕪の皮の昆布塩もみ
・焼き大根と貝柱のスープ(いしる風味)
・玄米ご飯

2010年11月12日金曜日

私流、40代を迎える前の準備~その1 水分

脚やせのエステに通って、一番に気をつけるように
言われたのは「水分の取り方」でした。

一日に「水」としてとる水分は1.2~1.5Lを限度とし、
半身浴の後や、エステの後など大量に汗をかいた後は
一気に水分を摂るのは厳禁。(これはあくまで脚やせを
目的とした場合です。のどがすごく乾いているのに
水を飲まない、とかっていうことはやめてくださいね)


私はかつてロンドンで栄養療法を学んでいた時、一日1.5L
の水を毎日飲むことが身体に良いと知り、無理やり水を
飲んでいました。それまでほとんど水を飲みたい、と思った
ことがなかったので、いきなり水を大量に取るようになった
んです。

結果、身体が冷えて冷えて・・・・

以来、水をたくさん飲んだ方が良い、というアイデアには
賛同出来ないままでした。

寒いロンドンで、常温の水を大量に飲んでたから冷えた
わけなので、普段から体温が高い(寒い時でも半袖でいるような)
西洋人と一緒に水を飲んだ方が悪い、と思いなおし、以来
白湯や、野草茶などを飲むようになって、まあ、これなら
大丈夫だな、と思い直しました。

でも、1.5Lとかって言われるとひゃ~、そんなに?と
やっぱり抵抗があって「そんなに飲めないよ」って思って
ました。


今回、一日の水分の量を制限されたことで、正確に自分が
取っている水分量を把握するようになりました。すると
意外なことに「たくさん飲めないよ」って思ってたのに、
軽く1.2Lぐらい飲んでるじゃない、私。


しかも、なるほど~だったのは、私は午後3、4時ぐらいから
水分を欲する人で、それ以降水分をとる人だったのです。

朝温かい飲み物を欲しい、という夫。全然飲みたがらない私。
夕方以降やお風呂上がり、寝る前に水が飲みたくなる私、
あまり必要なさそうな夫。

なるほどねえ~、午前中の代謝が活発な時間に水分を欲しがらず、
代謝が鈍りこれからはため込みモードの時間に水をとる私。

これは大きな発見でした。

水分をとることは身体に良い、のだろうけれど、自分自身が
水分を欲する時間が頭に入ってなかった・・・自力整体の
本にはそういえば書いてある、午前中は水分をとる時間だと。

こういうことでもないと気がつかないんだよねえ、時間も
大きなポイントだったことに・・・・

ということで、自分の癖を知りつつ、少しづつ水分を
とる時間を変更。すると翌日のむくみは本当に変わります。
びっくり。

仕事の後、帰宅後、夕食の時にお酒を飲む人も多いと思いますが、
これは少し考えた方が良いな、と思います。おじさまがたのビール腹、
おばさまがたのぷよぷよお腹&ボリューム下半身、はこの習慣を
見なおすだけで相当改善するように思います。

むくみをなめたらいけません。

同じ水分量をとるにしても人間の身体に備わったリズムを
知りつつ摂るのと摂らないのではこうも大きく違うのだ、という
ことに気がついた、大きな発見でした。

2010年11月11日木曜日

100円のフィリピン産パイナップルを見て思うこと。

今日、近所の100円ショップの店頭に、パイナップルが
山積みにされていました。

フィリピン産 100円。

チキータブランドの結構立派なパイナップルが、100円で
売られてる。この値段で利益が出るからこうやって
売られているんだろうと思います。

フィリピンの地で、人の手をかけて育てられて、飛行機で
運ばれて日本に来て、それでも100円で利益が上がる原価。
なんだか、考えさせられました。


これから冬に向かおうというこの日本で、この時期に
100円で生のパイナップルが食べられる。「非日常」
の極みって感じです。

でも、美味しそうだったから食べたいな~って思いました
けどね(笑)。


ヴィパッサナーの修行の間に、頂く食事は菜食のとても
考えられた美味しい食事です。刺激が少なく、まさに
「中庸」という感じ。それが順調に修行を積むのを助けて
くれます。

仏陀を初め、その時代の修行者は、托鉢をして食べ物を
得ていました。今でもミャンマーやタイなどそれが続いて
居る場所もありますよね。


仏陀は与えられたものは肉でも、魚でも、野菜でも、米でも
何でもありがたく頂いたと言われます。ただ、自分のために
動物が殺生され、それを食べ物として提供されることは拒んだと
されています。

仏陀の時代、大体において、その土地で取れる、自然に育った
食べ物を口にできたのだと思います。はるか遠くで育ったものを
運ぶのも大変だっただろうし、その季節にとれるものをその季節
に食べる、というのが普通だったでしょう。

それに、化学調味料や、大量の甘味料や、ましてや化学的な香料や
添加物などなかったでしょう。

贅沢をせず、その時、その場に自然に存在する物をありがたく
頂く、ということが「日常」だったのだと思います。


しかし、今は、残念ながらそうではない。
昔ながらのやり方で、自然のままに植物を育て、季節季節の
恵みを味わう元自体が、「特別な」ことになっています。

昔ながらのやり方で醤油を作ったり、味噌を作ったり、
お漬物を作ったり。そんな日常の食卓に欠かせないもの
達が、あろうことかまがいもので溢れています。


3年ほど前、点心の会に来てくださっていた方から
「美味しいお漬物があるんですが、召し上がりますか?」と
お声をかけていただき、ご丁寧に送っていただいたことがあります。
食にとても詳しい方でしたので、送っていただきました。

届けていただいた物を見て、私は心底悩みました。
有名な野沢菜などのお漬物の詰め合わせだったのですが、
化学調味料などを使ったものだったのです。

夫とも相談していろいろと考えた結果、大変申し訳ない
のですが、事情をお話してお返しさせていただきました。
お願いしておきながら申し訳ないことをしたいと思います。
しかし、私にはそれを受け取ることはできませんでした。

その年の冬、その方から美味しいリンゴを頂きました。
ご迷惑をおかけしたにも関わらず、私の気持ちを理解して
くださったことに、本当にうれしい気持ちになりました。


漬物は、たくさんの野菜が一気に取れた時に長く食べられるように
保存性に優れた状態にしたり、冬に野菜が取れないときに備えて
仕込んだり、野菜をつけることで乳酸菌がたくさん育って、
より身体に良いものになるなど、知恵がたくさん詰まった
食べ物です。

それが、なぜ、今のように「偽物」ばかりが氾濫するように
なってしまったのでしょうか?私はそれをとても悲しく
思います。


普通のことを普通にやっている人達が、「特別」に扱われる
時代。自然のものが「特別」に扱われる時代なんですよね。




今日は結局パイナップルは買わなかったので、柿を剥いて
食べようと思います。食後のデザートにね。

2010年11月10日水曜日

やっと、日常。

先日のブログにも書いたように、最近「日常」「非日常」
について考える機会が数多くあります。

今日、たまたま、ランチを外で食べ、美味しいサラダを
いただきました。グリーンリーフの真ん中に細切りの人参を
塩とオリーブオイルでしんなりさせたものがひと山のって
いました。

そのにんじんを食べて、あぁ~美味しい、と思った後、
噛みしめながら、こうやってにんじんを「食べ物」
として食べるのが普通なんだよなあ~と思いました。

なぜそんな風に思ったかということ、にんじんは「がん」
の自然療法であるゲルソン療法において、にんじんジュースとして
毎日大量にジュースにし、飲む野菜だからです。

正しいジューサーで、しぼりたてのジュースを1時間おきに
飲む。にんじんジュースが基本ですが、青野菜だったりも
します。一日200mlx8杯ぐらいが基本だったように思います。


どうして、そんなに大量の野菜を、ジュースとして身体に
取り入れるのか。

それは、身体が「がん」という「非日常」の状態になっているから。
なので、大量のにんじんをジュースとして摂るという「非日常」を
用いることによって、「非日常」x「非日常」=治癒という状態に
する。


私は、サラダにのったにんじんの歯ごたえを感じながら、
「ああ、私はにんじんをジュースにして大量にとらなくても
良いのだなあ。普通に健康でいる限り、普通ににんじんを
食べ物として(それも大量にではなく適量を)食べれば
良いのだなあ」という感じの、妙な感覚を抱きながら食べて
いました。


不思議なことですが、やっと自分が「日常」に戻った感じが
したんです。母ががんになって以来、「非日常」x「非日常」
という式を繰り返してきたように思う。でも今やっと「ああ、
私は日常に戻ってよいのだ」という安堵感のような感覚にが
生まれました。


すごく不思議です。



母ががんになったとき、このゲルソン療法、というものを
知りました。その後イギリスで学んだホリスティック栄養学、
薬膳もかじりましたし、自然療法も好きです。身体が
こんな時にはこんな食べ物、こういう季節はこんな食べ物、
と、何かを改善するための知識、知恵を得ることが
大好きで、とても関心がありました。

しかし、ずーっと私の中にはふっきれない思いがありました。

何かを癒す、治す、ということが好きなのならば、医者のような
存在になりたいのか?と自問すると

それはNoでした。

医者とは言わないまでも、専門家としてそのようなアドバイスを
したり、処方をしたり、ということがやりたいのか?との自問にも

答えはNo。

だったらなぜそういうことに興味があるのだろうかとずっと
自分でも疑問だったのです。


その疑問への答えに、一筋の光明が見えた気がするここ最近。


それは「私が求めていたのは中庸に生きることなのだ」という
こと。


「中庸とは何か?」ということを語れるほど、私は
修行できてはいませんが(笑)、ヴィパッサナーの瞑想
の中で経験してきた感覚から言うと、何があったとしても
それに対して「またこれが欲しい」というような「執着」を
抱くことなく、同時にまた「これは嫌だ」というような
「嫌悪」を抱くこともなく、全ては移り変わるものだという
無常を理解し、冷静で平常心を保っている状態、という
感じでしょうか。

このブログでも何度も書いているように、今の私は「日常」
と「非日常」を意識することが多くあります。

なので、その表現で言うと、「日常の充実」という感じです。

例えば病気になった時、それは日常に「非日常」が大きく顔をだす
ことです。そうなったら何とかその状態を「日常」に戻したいと
願うでしょう。

だから、食事を変えたり、薬を飲んだり、運動をしたり、して
「非日常」を導入し、「日常」に戻す努力をします。

また、こんな例もあるでしょう。精神的なショックを受けて
大変動揺します。相当なストレスがかかります。日常に突発的に
あらわれた「非日常」です。

そのストレスを除くためにあらたな「非日常」をとりいれます。
一人で心静かに過ごせる場所を探して、いつもは行かない公園に
行くかもしれないし、強い刺激でストレスを忘れるためにド派手な
映画を観に行くかもしれません。

それは「非日常」を「非日常」で忘れるためです。

「非日常」の状態が発生した時に「非日常」を用いるのは
「日常」を取り戻すためのはず。私が今まで興味を持って
やってきた、食事療法も、自然療法も、フラワーレメディも
全てそういうもののはずです。


いつも、ヴィパッサナーのコースに行って帰ってくると、
特別な食べ物がなくても、フラワーレメディがなくても、
心穏やかで、健康で、感謝に満ちた心で生きていける、
って思うんです。

それは、心が落ち着いて、穏やかでだからだなのでしょう。

しかし、普段の生活のなかで、さまざまな出来事に出会う
日が続いていくと、「食べ物も気をつけなくては」「フラワー
レメディの力を借りよう」とさまざまなものに手を出すように
なっていきます(笑)。


なるほど、です。


「日常」がぶれまくってくるからこそ、何かでバランスをとろうと
するんです。それは全て「中庸」に持っていくため。そこに持って
いくことが大事。

そこで、極端な「非日常」をぶつけて、向こう側の極端に
傾いたら振り子はいつまでも振れ続ける。いつまでも止まらない。

そうじゃないんだな。だから、心静かに、動かずに坐って、
ひとつの軸に戻すこと、が大事なんだ。

揺れる心の赴くがままに大量に正しくない食べ物を押し込んでも
一時的に欲求はおさまるけど、また揺れだす。その時に自分を
落ち着かせてくれる食べ物をしっかり知って、戻るように努める
ことが大事なんだな。


「日常」をしっかり持つことの意味、がやっと垣間見られたように
思います。


自分の求めていることが分かってくると、嬉しい。
なんだか、ホッとして、なんだか安心します。

2010年11月9日火曜日

立冬を迎えて、夏・秋をふりかえる

立冬を迎えました。
まだ神宮の銀杏並木はやっと色づいてきたぐらいなので、
秋本番はこれからのようですが、暦の上では冬。

今年の、夏、秋をふりかえると、肉体改造・見た目改善
に盛り上がった数カ月でした。

8月中ごろに、いままでの通りの食生活・生活習慣では、
代謝が落ちてきた身体にはマズイのだ・・・と気づいてしまい
30代最後の今年、きちんとこのことを自覚して変化しないと
いけないと、閃いてしまいました。

「これが中年太り、とかっていうものなのね~」と、自分が
中年と呼ばれる世代になってきたことをなんだか面白く感じ
せっせと若いころと今の基礎代謝量の違いを調べたりしつつ、
やる気満々で肉体&生活習慣改善をスタートしました。


占星術を勉強し始めてなるほど納得だったのは、太陽星座が
おとめ座の私は、体の手入れや、食生活を整えること、などの
いわゆる「健康おたく」的なことがだーいすきだということ。

おとめ座の特徴通りの私は食生活や生活習慣などをより良い
状態に変えようという努力は全く苦痛がなくて、むしろやり
すぎるぐらい(笑)。なので、試行錯誤しながらも自分の身体が
変化していくことは楽しくて、結構スムーズに変化してきました。


今回、私が一番改善したかったのは下半身の重さ。贅肉、
水分(むくみ)がたんまり詰まったこの下半身を「今」どうにか
しておかないと、今後どんどん手放すことが困難になっていく
だろうと本気で危機感を感じました。

昔から上半身と下半身の代謝の違いは自覚していて、冷え取りを
初めて温めるようにしてから多少改善はしたものの、やはり
たくさんついている贅肉、そしてむくみが血流やリンパの流れを
阻害してしまい、脚の状況を良くすることを難しくしていることは
明らかでした。ぶちぶちと醜いセルライトが居座っている以上
この状態を脱することは出来ない、と結論。


そして、プロに任せてみよう、と脚やせ専門のエステに通ったのでした。

目的はミニスカートでも短パンでもなく、ただただ長年気にしていた
セルライトを落とすこと、むくみを手放すこと。

結果。通って本当に良かったです。

生活習慣のアドバイスや、マッサージの仕方も教えてもらい、毎日取り組み
ました。もちろんスタッフの方たちによる施術も効果あり。

しかし、私にとっては今回本気で、ずっと気にしてきたコンプレックスを
改善しようと、今までいろいろ勉強してきた健康おたくの知識を総動員して、
この目的を果たすよう頑張ったことが、あらたな気づきをたくさんもたらして
くれました。


中年になると身体がこんなに変化してくるから、今まで通りではダメだと
いうこと。この事実にきちんと気がつき、受け入れ、行動しないといけないのです。

いままでダイエットなんて全く興味ありませんでしたが、健康的に体重を
落とすために大事だと言われていること―基礎代謝を上げる、きちんとご飯を
食べる、など―が「なるほど、その通りである」ということも体感しました。

そして、実は子供の時から私がずーっと抱えてきていた大きな問題「低血糖」
であること、をきちんと受け止め、改善するきっかけをもらたしてくれました。


この本、すごくお勧めです。日本人全員に読んでもらいたいと本気で思います。






現在の成果。(8月下旬から現在までの変化)
体重 約50キロ→44キロ
太もも&ヒップ 約8cm減
ふくらはぎ 約4cm減

私は長年体重47キロだったので、実際には3kgぐらい減った感じ。
でも8月下旬は一時的に相当体重が増えてました。

そしてずっと気になってた脚のむくみは本当に楽になったので、
歩くのがとても軽い(^^♪ これが何より嬉しいです。


この数カ月にやったことを書き残しておこうと思っています。
健康的に身体を変化させることに興味がある方の参考になれば
と思います。

2010年11月8日月曜日

きっと「進化」なんだろうな・・・

最近の生まれている子の中には、歯の数が減っていたり、
顎が極端に細かったりする子もいるという話を聞いたことがあります。

ちゃんとした「食事」を摂る、ということなく、お菓子や
栄養補助食品、サプリメント、スナックバーなどで
食事の代わりにする、というのも今の若者の世代では
珍しいことではないとも聞きます。

私も、かつてカロリーメイトのような食品が出た時、
「画期的だ!」と思った一人ですし、ちょうど私が子供の
ころから、インスタント食品や、コンビニ文化が日常化
してきたので、そういう風潮のまっただ中で育ってきた、
とも言えます。


私の世代はちょうど伝統的な食卓からの変化を経験している
世代なのかもしれません。

であれば、今の若い世代は、かつての「食卓に乗っていた食事」
というのはあまり知らないで育ったのではないかと想像します。


そう考えると、歯の数が減ったり、顎が細くなったり、サプリメント
が食事代わりになったり・・・・というのはもしかしたら「進化」
なのかな?って思えてきます。


私自身は玄米なんかをゆっくり噛みしめて食べると、美味しいなあ~
って感じます。久しぶりに玄米を噛みしめて食べて次の日顎のあたりが
筋肉痛になると「退化してる・・・まずいっ!」と感じます。


でも、そういう旧型(笑)の人間から、いわゆるニュータイプ
に進化してる過程なのかも?なんて考えると、人ってすごいなあ、って
思ったりするのです。


かつての古き良き時代の食卓への回帰が人間の健康へのカギである、という
考えはもちろん魅力的が考え方です。少なくとも私にとっては旧型の自分の
身体にあった、昭和の香り漂う食事が元気をもたらしてくれると感じます。


伝統的なあるべき方法で作られた、味噌・醤油・油、漬物やその他の食べ物。
私はそういうものが大好きですし、それを守り作り続けている人たちに
心からありがたいなあ、って思います。

しかし、一方で大量生産、添加物いっぱい、の食品が大量に出回る中で、
それに対応するための「進化」が起こっているのかと思うと、
そういう物を頭ごなしに否定することは、私自身のこだわりを増長する
だけのような気がしてくるのです。


物ごとは全て「生まれ、消え去る」もの。
極端まで達すれば、いずれ戻ってくる。


その理を眺め、全てのものは変化する、ということを
頭と心で理解したいと思います。

2010年11月5日金曜日

お酒、について思うこと

今年になって、私たちはお酒を飲むことがやめました。
もともと、そんなに飲む人たちではありませんが、
外に食事に行ったときは食事と一緒に少し嗜むことも
ありました。

止めたきっかけはヴィパッサナー瞑想のサティパッターナコースに
参加するにあたり、アルコールを飲んでいない、という条件を
満たすためです。

初めは、瞑想のコースから戻ってきたら飲んでも良いかな、と
思ってました。

でもコースが終わったあと、夫の方から「飲まないままでいたい」と
言われ、私はもともと飲まなくても平気な人なので、それならば、
ということでお酒を飲むことをやめました。


お酒が好き、というよりも、食べるのが好きだったので、
チーズにワイン、お刺身に日本酒、という楽しみがなくなるのは
正直さみしくてたまりませんでした。

でも、止めてみて、そのさみしさよりも、お酒によって有耶無耶に
されていた自分の中の何かが胡麻化されないようになることの方が
私にとって重要なことだと感じるようになりました。


私はもともとの性質として物事を真面目に捉える性質があります。
熱心に考えたり、自分の中を掘り下げたり、物事の本質を知りたい、という
探究心がとても強い傾向があります。


なので、心も身体も緊張することが多いのです。リラックスしにくい、
とも言えます。常に何かを考え、感じています。


だから身体には負担がかかります。身体の凝りもあるし、疲れやすくも
ある。これが健康か不健康か、と言われれば、不健康だという人も
あるでしょう。


「もっとリラックスして生きないと」とか「リラックスすることを心がけて」
という風にも良く言われます。

でもね、出来にくいんですよ、私には。
リラックスしよう、なんて意識してしまっては、それは
私にとって不自然なことなんです。真面目にリラックス
について考えちゃうわけですからね(笑)。

だから、最近私は、自分が考えるのが好きなこと、常に
何かを感じて、考察して、自分なりの考えをまとめること、
真面目に取り組むこと、が大好きなのだと受け入れました。

好きなことは自然にやってしまうのです。だから敢えて
それを止めようとはしない。そう思う方がわたしにとっては
大いにリラックスしていられます。



一時期、私はお酒を飲んだ時に、自分がふわーっと
リラックスする状態になるということに気がつきました。

本来はお酒を飲むことと瞑想することは相容れないのですが、
たまたま友人と会って食事をして、帰宅してから瞑想した時に
いつもと違う感覚を味わったからです。

細かいことに気をとられすぎることなく、なんだか気持ち良い
状態になる。「ああ、これが人がお酒を飲みたくなる理由
なんだな」と思いました。

(ヴィパッサナー瞑想では、どんな些細なことにも常に
気が付いている、という感覚を養うものなので、お酒を飲んで
瞑想するなんてことは本来言語道断です。でも、いつも細かい
ことに気を取られすぎて「本当にこれでよいのだろうか」って
疑心暗鬼の塊の私が、なんだかふわ~っとリラックスして
1時間の瞑想を終えたとき、「うーん、これはなんだか違う」
って思ったのでした)



お酒って、身体の、心の緊張から解放されるのだから、すごい
と思います。私にとっても、もしリラックスすることが目的ならば
お酒を適度に飲むことは有効なんだろうなと自覚しました。


でも、それってなんだか違う、と私は感じました。
私が送りたいのはそういう人生ではない、と。


もちろん、これも人の選択です。
良い、悪い、とかではない。お酒が悪い、とか良い、とかって
いうことは言えないです。目的が違うなら選択も違って当然
ですから。


少なくとも言えることは、やはり修行をするうえで
お酒は避けた方が良い、ということです。感覚を研ぎ澄ます
訓練をするときに、感覚を鈍らせるものは有効ではありません。

正しい言葉、正しい行動、を重んじる時に、自分の言葉や
行動を狂わせる可能性があるものを摂るのも有効ではありません。


何事も、目的があってこその「よし」「わるし」なんだなと、
思うのです。


お酒も、食生活も、同じ。

何を目的に生きるのか。
それが分かって初めて手段を選ぶことの重要性が
出てくるのだと思います。

2010年11月4日木曜日

日常と非日常

なぜ私がこの「食ブーム」に違和感を覚えるのか。

それは、”日常”と”非日常”、”ハレ”と”ケ”の感覚が
ごちゃまぜになっているからかもしれません。

豪華な食事や、旅先での食べ歩き、家では味わえない
なにか特別な愉しみは、とても魅力的です。その土地の
空気、水、家では味わえない雰囲気。とても良いものです。

それは”日常”があってこその楽しみです。

いつもの、普通の、あたりまえの、平常があってこそ
”非日常”が楽しい。


日常、をしっかり築くことって、すごく大事だと思います。


例えば東京からロンドンに引越しをした時、食生活は
がらっと変わりました。日常の普通の食べ物だった、
お魚、お米、納豆、豆腐・・・それらはすべて”非日常”に
なりました。


美味しいジャガイモ、美味しい乳製品、美味しいお肉たち。
はじめは私たちにとって“非日常”の食べ物だったものが
いつのまにか“日常”になりました。


この時の私たちにとっての日常は、今の私たちにとっては
非日常です。

だから、和食が良い、とか、西洋の食事は悪い、とか、
そいうことではないと思うのです。気候も、体型も、
環境も、なにもかも違うところで生きているのだし、
そこで育つもの、取れるもの、必要なものはそれぞれ違う。

だから、良い、とか悪い、とかではない。

大事なのは自分にとっての“日常”がしっかりあることでは
ないかしら。


ヴィパッサナー瞑想の修行は、つねに平常心をたもつ訓練です。
そのために、特別な環境が用意されます。

人としゃべらない、読んだり書いたりしない、そして
食事は菜食です。なるべく刺激のない、中庸の食事。

これは自分にとっての日常を波風のない状態にもっていく修行を
することで、少しでも波風が立った時それに気がつける感覚を
養うためにとても大切な環境なのだと思います。


刺激がとっても多い普段の生活だからこそ、自分にとっての日常を
しっかり築くことがとても大事なのですね。街の刺激、仕事のストレス、
人との関わり、といろいろな心揺さぶられることがあるからこそ、
自分の“日常”に戻って平常心を整えること。その大切さが
ますます注目されるのではないかと思います。


心のザワザワをごまかすために、”非日常”の食べ物を
食べまくる、騒いで、呑んで忘れる・・・時にはそうでも
しなければ身体も心も緊張の極限に達することもあるでしょう。
私も食べることで自分を甘やかし、ホッとすることを何度も
経験しています。

そういう生き方を選ぶのも、その人の選択です。
良い、とか悪い、とかではない。

でも、私自身はそろそろ日常の平常心を見つめなおしてみたいな、
と思っています。40歳、という年齢ももうすぐなことだし、
そういうお年頃(^^ゞになったのかな、と思います。


39歳の誕生日に、夫と二人でTour Dargentに行きました。
それこそ"非日常”な空間です。
その時「どんな30代だった?」という話になりました。

私はしばらく考えた後、「挑戦したかったことに向かって
走り続けてきたような10年だった」と言いました。自分が
やってみたかったことに貪欲に取り組んでこられた。20代はまだ
人がどう思うかな?と気にしていた節があったけど、この10年は
幸いなことにチャレンジをさせてもらう環境と行動力が与えられたこと
をとても感謝する気持ちになりました。

10年後、50歳を目の前にして私はどんな10年だったというの
だろう?今からそれが楽しみです。


最近本屋さんで”40歳”というキーワードの本をよく見かけます。
さすがにベビーブーマーの私たちを狙ったものが多いのでしょうか?

でも、世の中が私に合わせていろいろな情報を提供してくれている
ようでなんだかお得な気がします。ありがたい、ありがたい、です。

2010年11月2日火曜日

立ち止まる勇気

4年間続けてきたクッキングサークル&手作り点心の会。
今年6月をもって活動を縮小しました。

現在はほとんどの活動をやめていますが、味噌作りや
梅干し作りなどは、これからもやりたいと思っていますし、
せっかく出来上がったみそを持ち寄っての恒例の味噌会は
やりたいな、と思っています。


私の中で昨年ぐらいから感じていた違和感が、だんだんと
大きくなり、それは「疲れ」という形でのしかかってきました。

自分の潜在意識が感じている、本来自分がやりたいこと、と、
現在の自分の違い。それが積もり積もって一旦立ち止まること
を選択しました。


夫の転勤があるかもしれない、というのは私にとってとても良い
きっかけでした。結局転勤はなくなりましたが、私が立ち止まるための
大きなきっかけをくれました。


食べ物が溢れ、物産展、B級グルメ・・・と毎日大量の食べ物が溢れる
日本。グルメブーム、究極の味を求め、ものすごい金額が動きます。
一方、食品がこんなに安いのってありえるんだろうか・・・という
値段がついて売られていたり。


そういうのを目にするたびに、ものすごい違和感を覚え、
なぜ人はこんなに食べることに眼を血走らせるのか、と
恐怖心さえ感じるようになりました。(

もちろん、生命の維持のために「食べる」という行動
が欠かせないことは理解ができます。でも、そうとは
思えないこの”食”ブーム。


毎日の生活の中で得ることが出来ない心のまんぷくを
満たすために、身体の中に食べ物を詰め込んで、毎日の
生活の中で感じることが出来ない心地よい刺激を求めて、
激辛や味の濃い、こってりした食べ物を求める。

毎日の生活のなかで得ることのできない安心感を求め、
甘くて、やさしくて、ふんわりした食べ物を口にする。


私自身も食べることが大好きだったから、「ああ、こうして
食べることで何か満たされない気持ちを充足させたいと
思っていたんだな」って思う。


ひとりひとり、人は違った良さをもって生まれ、生きているのに、
こんなにも大量生産、経済を優先して作られた食べ物を食べていて
良いのだろうか。

自分を大事にするならば、自分を作っている食べ物は、もっとも大事に
育てられ、作られた食事であるべきではないか。


”来月のクラスの試作”、”新しい料理を考えること”などから
離れた現在の我が家の食卓は、自称”贅沢な素食”が並びます。

手作りの味噌、手作りの梅干し、自然農法の玄米、
炒ってゆっくり摺ったごま、夏に比べてちょっと元気がなくなってきた
ぬか床に漬けたぬか漬けなどを中心に、あとはきんぴらとか、
が1-2品。


大変快適。大変満足。


お昼は時々外で食べたり、もちろん友人と出かけたりもするので
いつもいつもこうではないですが、玄米をゆっくりゆっくり甘くなるまで
噛んで食べた時の美味しさは、本当に幸せです。


クッキングサークルに来てくださっていた方には、最後のクラスの時に、
それとなく私の食の志向が変わってきていることをお話しました。
なので、自分なりにみなさんに提示できるものがまとまるまでお待ちください、
というようなことを言ったように思います。


今の私が求めているもの、の形が少しづつ分かって来たように
感じています。これは立ち止まって見て初めて出てきた私の中の
欲求です。


忙しい日々、仕事を毎日続けるなかで立ち止まることは本当に
難しいことかと思います。私のように「休ませてください」と
いうことが出来るのは本当に幸せなことです。


でも、なにか違和感を感じた時には
やはり一旦立ち止まってゆっくりとゆっくりと自分の中の
欲求に向き合っていくことが必要なんだと思います。


そういう時間や、そういう空間を持つお手伝いを
したいな、って思います。

kominka

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