2010年11月5日金曜日

お酒、について思うこと

今年になって、私たちはお酒を飲むことがやめました。
もともと、そんなに飲む人たちではありませんが、
外に食事に行ったときは食事と一緒に少し嗜むことも
ありました。

止めたきっかけはヴィパッサナー瞑想のサティパッターナコースに
参加するにあたり、アルコールを飲んでいない、という条件を
満たすためです。

初めは、瞑想のコースから戻ってきたら飲んでも良いかな、と
思ってました。

でもコースが終わったあと、夫の方から「飲まないままでいたい」と
言われ、私はもともと飲まなくても平気な人なので、それならば、
ということでお酒を飲むことをやめました。


お酒が好き、というよりも、食べるのが好きだったので、
チーズにワイン、お刺身に日本酒、という楽しみがなくなるのは
正直さみしくてたまりませんでした。

でも、止めてみて、そのさみしさよりも、お酒によって有耶無耶に
されていた自分の中の何かが胡麻化されないようになることの方が
私にとって重要なことだと感じるようになりました。


私はもともとの性質として物事を真面目に捉える性質があります。
熱心に考えたり、自分の中を掘り下げたり、物事の本質を知りたい、という
探究心がとても強い傾向があります。


なので、心も身体も緊張することが多いのです。リラックスしにくい、
とも言えます。常に何かを考え、感じています。


だから身体には負担がかかります。身体の凝りもあるし、疲れやすくも
ある。これが健康か不健康か、と言われれば、不健康だという人も
あるでしょう。


「もっとリラックスして生きないと」とか「リラックスすることを心がけて」
という風にも良く言われます。

でもね、出来にくいんですよ、私には。
リラックスしよう、なんて意識してしまっては、それは
私にとって不自然なことなんです。真面目にリラックス
について考えちゃうわけですからね(笑)。

だから、最近私は、自分が考えるのが好きなこと、常に
何かを感じて、考察して、自分なりの考えをまとめること、
真面目に取り組むこと、が大好きなのだと受け入れました。

好きなことは自然にやってしまうのです。だから敢えて
それを止めようとはしない。そう思う方がわたしにとっては
大いにリラックスしていられます。



一時期、私はお酒を飲んだ時に、自分がふわーっと
リラックスする状態になるということに気がつきました。

本来はお酒を飲むことと瞑想することは相容れないのですが、
たまたま友人と会って食事をして、帰宅してから瞑想した時に
いつもと違う感覚を味わったからです。

細かいことに気をとられすぎることなく、なんだか気持ち良い
状態になる。「ああ、これが人がお酒を飲みたくなる理由
なんだな」と思いました。

(ヴィパッサナー瞑想では、どんな些細なことにも常に
気が付いている、という感覚を養うものなので、お酒を飲んで
瞑想するなんてことは本来言語道断です。でも、いつも細かい
ことに気を取られすぎて「本当にこれでよいのだろうか」って
疑心暗鬼の塊の私が、なんだかふわ~っとリラックスして
1時間の瞑想を終えたとき、「うーん、これはなんだか違う」
って思ったのでした)



お酒って、身体の、心の緊張から解放されるのだから、すごい
と思います。私にとっても、もしリラックスすることが目的ならば
お酒を適度に飲むことは有効なんだろうなと自覚しました。


でも、それってなんだか違う、と私は感じました。
私が送りたいのはそういう人生ではない、と。


もちろん、これも人の選択です。
良い、悪い、とかではない。お酒が悪い、とか良い、とかって
いうことは言えないです。目的が違うなら選択も違って当然
ですから。


少なくとも言えることは、やはり修行をするうえで
お酒は避けた方が良い、ということです。感覚を研ぎ澄ます
訓練をするときに、感覚を鈍らせるものは有効ではありません。

正しい言葉、正しい行動、を重んじる時に、自分の言葉や
行動を狂わせる可能性があるものを摂るのも有効ではありません。


何事も、目的があってこその「よし」「わるし」なんだなと、
思うのです。


お酒も、食生活も、同じ。

何を目的に生きるのか。
それが分かって初めて手段を選ぶことの重要性が
出てくるのだと思います。

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kominka

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