2010年11月11日木曜日

100円のフィリピン産パイナップルを見て思うこと。

今日、近所の100円ショップの店頭に、パイナップルが
山積みにされていました。

フィリピン産 100円。

チキータブランドの結構立派なパイナップルが、100円で
売られてる。この値段で利益が出るからこうやって
売られているんだろうと思います。

フィリピンの地で、人の手をかけて育てられて、飛行機で
運ばれて日本に来て、それでも100円で利益が上がる原価。
なんだか、考えさせられました。


これから冬に向かおうというこの日本で、この時期に
100円で生のパイナップルが食べられる。「非日常」
の極みって感じです。

でも、美味しそうだったから食べたいな~って思いました
けどね(笑)。


ヴィパッサナーの修行の間に、頂く食事は菜食のとても
考えられた美味しい食事です。刺激が少なく、まさに
「中庸」という感じ。それが順調に修行を積むのを助けて
くれます。

仏陀を初め、その時代の修行者は、托鉢をして食べ物を
得ていました。今でもミャンマーやタイなどそれが続いて
居る場所もありますよね。


仏陀は与えられたものは肉でも、魚でも、野菜でも、米でも
何でもありがたく頂いたと言われます。ただ、自分のために
動物が殺生され、それを食べ物として提供されることは拒んだと
されています。

仏陀の時代、大体において、その土地で取れる、自然に育った
食べ物を口にできたのだと思います。はるか遠くで育ったものを
運ぶのも大変だっただろうし、その季節にとれるものをその季節
に食べる、というのが普通だったでしょう。

それに、化学調味料や、大量の甘味料や、ましてや化学的な香料や
添加物などなかったでしょう。

贅沢をせず、その時、その場に自然に存在する物をありがたく
頂く、ということが「日常」だったのだと思います。


しかし、今は、残念ながらそうではない。
昔ながらのやり方で、自然のままに植物を育て、季節季節の
恵みを味わう元自体が、「特別な」ことになっています。

昔ながらのやり方で醤油を作ったり、味噌を作ったり、
お漬物を作ったり。そんな日常の食卓に欠かせないもの
達が、あろうことかまがいもので溢れています。


3年ほど前、点心の会に来てくださっていた方から
「美味しいお漬物があるんですが、召し上がりますか?」と
お声をかけていただき、ご丁寧に送っていただいたことがあります。
食にとても詳しい方でしたので、送っていただきました。

届けていただいた物を見て、私は心底悩みました。
有名な野沢菜などのお漬物の詰め合わせだったのですが、
化学調味料などを使ったものだったのです。

夫とも相談していろいろと考えた結果、大変申し訳ない
のですが、事情をお話してお返しさせていただきました。
お願いしておきながら申し訳ないことをしたいと思います。
しかし、私にはそれを受け取ることはできませんでした。

その年の冬、その方から美味しいリンゴを頂きました。
ご迷惑をおかけしたにも関わらず、私の気持ちを理解して
くださったことに、本当にうれしい気持ちになりました。


漬物は、たくさんの野菜が一気に取れた時に長く食べられるように
保存性に優れた状態にしたり、冬に野菜が取れないときに備えて
仕込んだり、野菜をつけることで乳酸菌がたくさん育って、
より身体に良いものになるなど、知恵がたくさん詰まった
食べ物です。

それが、なぜ、今のように「偽物」ばかりが氾濫するように
なってしまったのでしょうか?私はそれをとても悲しく
思います。


普通のことを普通にやっている人達が、「特別」に扱われる
時代。自然のものが「特別」に扱われる時代なんですよね。




今日は結局パイナップルは買わなかったので、柿を剥いて
食べようと思います。食後のデザートにね。

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kominka

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