2010年11月10日水曜日

やっと、日常。

先日のブログにも書いたように、最近「日常」「非日常」
について考える機会が数多くあります。

今日、たまたま、ランチを外で食べ、美味しいサラダを
いただきました。グリーンリーフの真ん中に細切りの人参を
塩とオリーブオイルでしんなりさせたものがひと山のって
いました。

そのにんじんを食べて、あぁ~美味しい、と思った後、
噛みしめながら、こうやってにんじんを「食べ物」
として食べるのが普通なんだよなあ~と思いました。

なぜそんな風に思ったかということ、にんじんは「がん」
の自然療法であるゲルソン療法において、にんじんジュースとして
毎日大量にジュースにし、飲む野菜だからです。

正しいジューサーで、しぼりたてのジュースを1時間おきに
飲む。にんじんジュースが基本ですが、青野菜だったりも
します。一日200mlx8杯ぐらいが基本だったように思います。


どうして、そんなに大量の野菜を、ジュースとして身体に
取り入れるのか。

それは、身体が「がん」という「非日常」の状態になっているから。
なので、大量のにんじんをジュースとして摂るという「非日常」を
用いることによって、「非日常」x「非日常」=治癒という状態に
する。


私は、サラダにのったにんじんの歯ごたえを感じながら、
「ああ、私はにんじんをジュースにして大量にとらなくても
良いのだなあ。普通に健康でいる限り、普通ににんじんを
食べ物として(それも大量にではなく適量を)食べれば
良いのだなあ」という感じの、妙な感覚を抱きながら食べて
いました。


不思議なことですが、やっと自分が「日常」に戻った感じが
したんです。母ががんになって以来、「非日常」x「非日常」
という式を繰り返してきたように思う。でも今やっと「ああ、
私は日常に戻ってよいのだ」という安堵感のような感覚にが
生まれました。


すごく不思議です。



母ががんになったとき、このゲルソン療法、というものを
知りました。その後イギリスで学んだホリスティック栄養学、
薬膳もかじりましたし、自然療法も好きです。身体が
こんな時にはこんな食べ物、こういう季節はこんな食べ物、
と、何かを改善するための知識、知恵を得ることが
大好きで、とても関心がありました。

しかし、ずーっと私の中にはふっきれない思いがありました。

何かを癒す、治す、ということが好きなのならば、医者のような
存在になりたいのか?と自問すると

それはNoでした。

医者とは言わないまでも、専門家としてそのようなアドバイスを
したり、処方をしたり、ということがやりたいのか?との自問にも

答えはNo。

だったらなぜそういうことに興味があるのだろうかとずっと
自分でも疑問だったのです。


その疑問への答えに、一筋の光明が見えた気がするここ最近。


それは「私が求めていたのは中庸に生きることなのだ」という
こと。


「中庸とは何か?」ということを語れるほど、私は
修行できてはいませんが(笑)、ヴィパッサナーの瞑想
の中で経験してきた感覚から言うと、何があったとしても
それに対して「またこれが欲しい」というような「執着」を
抱くことなく、同時にまた「これは嫌だ」というような
「嫌悪」を抱くこともなく、全ては移り変わるものだという
無常を理解し、冷静で平常心を保っている状態、という
感じでしょうか。

このブログでも何度も書いているように、今の私は「日常」
と「非日常」を意識することが多くあります。

なので、その表現で言うと、「日常の充実」という感じです。

例えば病気になった時、それは日常に「非日常」が大きく顔をだす
ことです。そうなったら何とかその状態を「日常」に戻したいと
願うでしょう。

だから、食事を変えたり、薬を飲んだり、運動をしたり、して
「非日常」を導入し、「日常」に戻す努力をします。

また、こんな例もあるでしょう。精神的なショックを受けて
大変動揺します。相当なストレスがかかります。日常に突発的に
あらわれた「非日常」です。

そのストレスを除くためにあらたな「非日常」をとりいれます。
一人で心静かに過ごせる場所を探して、いつもは行かない公園に
行くかもしれないし、強い刺激でストレスを忘れるためにド派手な
映画を観に行くかもしれません。

それは「非日常」を「非日常」で忘れるためです。

「非日常」の状態が発生した時に「非日常」を用いるのは
「日常」を取り戻すためのはず。私が今まで興味を持って
やってきた、食事療法も、自然療法も、フラワーレメディも
全てそういうもののはずです。


いつも、ヴィパッサナーのコースに行って帰ってくると、
特別な食べ物がなくても、フラワーレメディがなくても、
心穏やかで、健康で、感謝に満ちた心で生きていける、
って思うんです。

それは、心が落ち着いて、穏やかでだからだなのでしょう。

しかし、普段の生活のなかで、さまざまな出来事に出会う
日が続いていくと、「食べ物も気をつけなくては」「フラワー
レメディの力を借りよう」とさまざまなものに手を出すように
なっていきます(笑)。


なるほど、です。


「日常」がぶれまくってくるからこそ、何かでバランスをとろうと
するんです。それは全て「中庸」に持っていくため。そこに持って
いくことが大事。

そこで、極端な「非日常」をぶつけて、向こう側の極端に
傾いたら振り子はいつまでも振れ続ける。いつまでも止まらない。

そうじゃないんだな。だから、心静かに、動かずに坐って、
ひとつの軸に戻すこと、が大事なんだ。

揺れる心の赴くがままに大量に正しくない食べ物を押し込んでも
一時的に欲求はおさまるけど、また揺れだす。その時に自分を
落ち着かせてくれる食べ物をしっかり知って、戻るように努める
ことが大事なんだな。


「日常」をしっかり持つことの意味、がやっと垣間見られたように
思います。


自分の求めていることが分かってくると、嬉しい。
なんだか、ホッとして、なんだか安心します。

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kominka

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