2010年11月4日木曜日

日常と非日常

なぜ私がこの「食ブーム」に違和感を覚えるのか。

それは、”日常”と”非日常”、”ハレ”と”ケ”の感覚が
ごちゃまぜになっているからかもしれません。

豪華な食事や、旅先での食べ歩き、家では味わえない
なにか特別な愉しみは、とても魅力的です。その土地の
空気、水、家では味わえない雰囲気。とても良いものです。

それは”日常”があってこその楽しみです。

いつもの、普通の、あたりまえの、平常があってこそ
”非日常”が楽しい。


日常、をしっかり築くことって、すごく大事だと思います。


例えば東京からロンドンに引越しをした時、食生活は
がらっと変わりました。日常の普通の食べ物だった、
お魚、お米、納豆、豆腐・・・それらはすべて”非日常”に
なりました。


美味しいジャガイモ、美味しい乳製品、美味しいお肉たち。
はじめは私たちにとって“非日常”の食べ物だったものが
いつのまにか“日常”になりました。


この時の私たちにとっての日常は、今の私たちにとっては
非日常です。

だから、和食が良い、とか、西洋の食事は悪い、とか、
そいうことではないと思うのです。気候も、体型も、
環境も、なにもかも違うところで生きているのだし、
そこで育つもの、取れるもの、必要なものはそれぞれ違う。

だから、良い、とか悪い、とかではない。

大事なのは自分にとっての“日常”がしっかりあることでは
ないかしら。


ヴィパッサナー瞑想の修行は、つねに平常心をたもつ訓練です。
そのために、特別な環境が用意されます。

人としゃべらない、読んだり書いたりしない、そして
食事は菜食です。なるべく刺激のない、中庸の食事。

これは自分にとっての日常を波風のない状態にもっていく修行を
することで、少しでも波風が立った時それに気がつける感覚を
養うためにとても大切な環境なのだと思います。


刺激がとっても多い普段の生活だからこそ、自分にとっての日常を
しっかり築くことがとても大事なのですね。街の刺激、仕事のストレス、
人との関わり、といろいろな心揺さぶられることがあるからこそ、
自分の“日常”に戻って平常心を整えること。その大切さが
ますます注目されるのではないかと思います。


心のザワザワをごまかすために、”非日常”の食べ物を
食べまくる、騒いで、呑んで忘れる・・・時にはそうでも
しなければ身体も心も緊張の極限に達することもあるでしょう。
私も食べることで自分を甘やかし、ホッとすることを何度も
経験しています。

そういう生き方を選ぶのも、その人の選択です。
良い、とか悪い、とかではない。

でも、私自身はそろそろ日常の平常心を見つめなおしてみたいな、
と思っています。40歳、という年齢ももうすぐなことだし、
そういうお年頃(^^ゞになったのかな、と思います。


39歳の誕生日に、夫と二人でTour Dargentに行きました。
それこそ"非日常”な空間です。
その時「どんな30代だった?」という話になりました。

私はしばらく考えた後、「挑戦したかったことに向かって
走り続けてきたような10年だった」と言いました。自分が
やってみたかったことに貪欲に取り組んでこられた。20代はまだ
人がどう思うかな?と気にしていた節があったけど、この10年は
幸いなことにチャレンジをさせてもらう環境と行動力が与えられたこと
をとても感謝する気持ちになりました。

10年後、50歳を目の前にして私はどんな10年だったというの
だろう?今からそれが楽しみです。


最近本屋さんで”40歳”というキーワードの本をよく見かけます。
さすがにベビーブーマーの私たちを狙ったものが多いのでしょうか?

でも、世の中が私に合わせていろいろな情報を提供してくれている
ようでなんだかお得な気がします。ありがたい、ありがたい、です。

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kominka

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