2010年9月14日火曜日

心の中にある完成図

私は3人兄弟の末っ子として育ちました。
9つ離れた兄、7つ離れた兄の下で、末っ子長女として育ちました。

夫も3人兄弟の末っ子。
兄、姉のもと、二男末っ子として育ちました。

3人目ともなると親も良い意味で適当になるし、好きなようにやらせてもらえるのでしょう。それに親から頼りにされる、というような役割、責任もあまりなく、自分がどうしたいか、ということがプライオリティーのトップになります。

もちろん、私も幼いころに親が病気になったり、母が病床に伏したこと、そして両親の他界など、折に触れ「親が望む子供」として頑張ってみたり、とにかく甘えるということのない子供時代を過ごしてきたこともありました。

でも、それは自分が勝手にそういう姿を演じることを選んだだけであって、根本の私の性質は、とにかく「自分がやりたいことを、自分のやりたいようにやる」ということが許される立場だったし、それは大変幸せなことだったとつくづく感じます。

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夫とも良く話しますが、私達は本当に自由にさせてもらっていることをありがたく思います。

自分が行きたい学校に行かせてもらい、自分がやりたい勉強をすることができ、自分が挑戦したいことに挑戦させてもらえること。

誰に与えられたわけでもない、自分で選んだからこそ、うまくいかなくても自分の責任。そしてうまくいけばそれが成功体験として積み重なっていく。もちろんそれは自分だけの力ではなくて多くの周りのサポートのお陰での成功なので、そのことへの感謝の思いも湧いてくる。


バッチフラワーレメディを創ったバッチ博士が、”自分の人生を生きる”為にヒントとなるたとえ話を残されています。
私はこの話が大好きです。

(フラワーレメディ―ズウィズダム、より抜粋)




「ある少女が、間近に迫った母の誕生日のために、家の絵を描こうと決意しました。絵は、少女の心の中では、とっくに描かれています。家がどうなっているかを細部まで知っているので、画用紙に描くことだけが、彼女に残された仕事です。
 
 少女は絵の具、筆、画用紙を揃えて、熱心に、楽しく作業を開始します。絵は、誕生日に間に合うように仕上がります。少女は力の限り家の思いを形に表しました。
 
 それはまさしく芸術作品です。彼女自身のすべてであり、どの筆も母への愛に動かされ、窓も戸も、心に思う通りに描かれているからです。

 仮に干し草の山のように見えたとしても、描かれた絵は完璧です。 小さな画家が、全身全霊を注いで描いたのですから、その絵は成功しています。

 健康、成功、幸福、まことの奉仕とは、このようなものです。それは、全く自由な状態で、自分のやり方で、愛から仕えるということです。

 人は同じように、どんな絵を描くべきかを知り、人生行路をあらかじめ心に描いて、この世に生まれたのであり、それを物質的形に表すのが唯一残された仕事です。
 
 私達は、喜びと興味をいっぱいにして、絵の完成に全神経を集中させ、どんな環境を選んだにせよ、その想いを物質生活に翻訳するために最善を尽くして生きるのです。

 ですから、はじめから全力を尽くして、自分自身の理想、願いを仕上げるために生きるならば、失敗はひとつもありません。大成功して、健康で幸せな人生を送れます。
 
 さて、同じ子供のもう一つの話に、私達がそれを許せば、せっかくの成功と幸福と健康に干渉が入り、目的が果たせなくなることが語られています。

 子供が楽しそうに絵を描いていると、ある人が近づいて、「窓はここ、戸はここ、庭はこのように描くのよ」と声をかけました。

 子供は絵描きに興味を失います。続けたとしても、他人の思いを紙に写すにすぎません。いらいらし始め、楽しさが失われ、怖くて助言を拒めず、最後に絵が憎らしくなり、破り捨てるかもしれません。事実、子供はそうした反応をとるものです。

 ようやく仕上げた絵は、たしかに家に見えるかも知れませんが、失敗作です。 それは子供の思いではなく、他人の思いを解釈したものにすぎません。誕生日に間に合わないので、プレゼントに役立たず、母はもう一年待たなければなりません。

 これが干渉への反応、すなわち「病」です。それは一時的な失敗であり、不幸です。人生の目的に他が干渉するのを許し、疑い、不安、無関心が植えつけられると、このようなことが起こります。」


自分自身の人生を歩むこと、自分自身の心に描いた絵をキャンバスに描くこと。
他人と比べることなんて何の意味もありません。

「こうでなくてはいけないのではないか」と自分自身で作り続けてきた心の縛り目を、一つ一つほどいていく作業を今とても大事にして日々を過ごしています。

自分が良いと思うこと、心地よいと思うこと、好きなもの、好きなこと。
それを大事に過ごしながら、もともと私が持って生まれた「心に描いた完成図」を見る日を楽しみにしています。

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kominka

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