2010年2月17日水曜日

想い出のレストラン 最終日

私が生まれ育った赤坂は、今でこそファッショナブルな
場所ですが、私の子供のころは消防車すら入れないような
小さな路地もありました。

今、アークヒルズになった場所はそんなところでした。

私が10歳の時、サントリーホールや全日空ホテル、
アーク森ビルなどが立ち並び、それまで日曜日は
シーンとしていた我が家のまわりを、土日に人が
たくさん歩くようになりました。


ホテルでお茶とケーキを愉しむのが時々の楽しみで、
夏の夜に夕涼みがてら母と二人で出かけることもよく
ありました。

そして、13年前、私たち夫婦はは全日空ホテルのフレンチ
レストランで結婚式前の昼食会を、そして、式後に
イタリアンレストランでティーパーティーをしたのでした。


全日空ホテルは現在インターコンチに変わりましたが、
その頃から働いていらっしゃる方たちは少しづつ出世して、
ホテル内のレストランのマネージャーというお立場に
なったりしています。


2月14日、ホテルのメインダイニングだった”イタロ・プロバンス”
が閉店し、新たにピエールガルニエールとして生まれ変わることと
なりました。

イタロプロバンスの前身だった「Rose Room」のころからお世話
になった私たち。なんだかとても感慨深いものがあります。


これから、どのように生まれ変わるのか。
とても楽しみです。


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2月14日の昼、私たちはサントリー美術館に行こうと思い、
六本木で食事をするつもりでした。何気なく夫が
「イタロプロバンス行こうよ」と言いだし、じゃあ・・・
とたまたまHPをみると、なんとそこには「2月14日を
もちまして・・」の文字。

びっくりして、ランチに間に合わないかと電話するも、
もちろん空席はなし。仕方ないので「マネージャーの
〇さんにお世話になりましたとお伝えください」と伝言。


30分後ぐらい、ちょうど六本木についたころに
携帯がなりました。「ちょうどお気に入りの席が空いたので
いかがかと思いまして」とマネージャーさんから♪

「今からすぐ伺います!」と返事をして急行。

そんなこんなで最後の日のランチに間に合うことが
出来たのでした。


美味しいランチを食べながらさまざまなことを思い出し、
とても感慨深い時間をすごしました。


イタロプロバンスがオープンした2004年6月は、私たちが
当時住んでいた上海から初めて一時帰国をし、全日空ホテルに
ステイした時。


上海での戦いのような日々(笑)から離れ、本当に心から
寛げる、ホッとできる日々を過ごした時でした。

以来、一時帰国の際は必ずこのホテルにステイし、
食事を愉しむのが恒例となりました。
東京に帰ってきて、ホッとできる場。
それがここでした。


そんな想い出の場所がまたひとつ新しい形に
生まれ変わる。


生まれては、消え去る。
生まれては、消え去る。


全ては移り変わるもの、なのだなあ、と改めて実感しました。


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kominka

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